御言葉に聞く

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「思い煩いからの解放」


regbook.gif「あなたがたの寛容を、みんなの人に示しなさい。主は近い。何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈りと願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。」

ピリピ人への手紙4章4節〜7節

 
 私たちは、本当に様々な思い煩いの中に生きています。その中に居続けるならば、私たちは決して喜びに溢れた生き方などできません。むしろそこからは苛立ちや諦め、そしてついには絶望にまでいたることだってあるのです。
 そのような思い煩いに生きている私たちに対して、聖書が語る言葉は「思い煩うな」ということです。主イエスは何度も言葉を重ねて「思い煩うな」と言われました(マタイによる福音書6章25節以下)。パウロもまた私たちに「何事も思い煩ってはならない」と語るのです。
 思い煩いの中にとらわれている私たちにとって、これらの聖書の御言葉にすぐに「ハイ!」と言って従うことのできない事柄かも知れません。次から次に思い煩わなければならないことが押し寄せてくる。「思い煩うな」と言われても、どんどん自分では処理できないほどに私たちには思い煩いが襲ってくるのです。
 パウロが「思い煩ってはならない」と語る根拠、それは何でしょうか。それは何よりも「主にある」ということです。あなたがたは主に捉えられ、愛され、すべてを導かれているではないか。ちっぽけな私たちであるけれども、そのすべてを主が支配していて下さっているではないか...。だからすべてを委ねたらいいんだよ...。そう言おうとしているのではないでしょうか。
 「ただ、事ごとに、感謝をもって祈りと願いをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい」と言われています。祈りと願いを神さまにささげるがよい。すべての事を神さまに伝え、聞いていただいたら良いではないか。神さまは必ずその言葉を聞いて下さるのだ。そして必ず、私たちの想像を遥かに越える方法によって、神さまが思い煩いの中に生きる私たちに良き道を備えて下さるはずだとパウロは語っているのです。その言葉に生きる時、神さまは私たちを思い煩いから解放してくれるのではないでしょうか。
 パウロは、思い煩いからの解放が「人知では計り知れない平安が私たちをつつむ」と言います。神によって私たちは何物にも代え難い平安を約束されているのです。神から与えられている恵みを忘れて、思い煩いの中を漂っている私たちを平安へと確かな手で導いていって下さるのです。

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