御言葉に聞く

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「人間の価値」


regbook.gif「あなたはあなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地のおもてのすべての民のうちからあなたを選んで、自分の宝の民とされた。主があなたがたを愛し、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの国民よりも数が多かったからではない。あなたがたはよろずの民のうち、もっとも数の少ないものであった。ただ主があなたがたを愛し、またあなたがたの先祖に誓いを守ろうとして、主は強い手をもってあなたがたを導き出し、奴隷の家から、エジプトの王パロの手から、あがない出されたのである。」

申命記7章6節〜8節

 
 私たちは、「〜らしい」という言葉で、人を評価したり、評価されたりしています。教会の中では、「クリスチャンらしい」ことが評価の基準になっているところがあります。「〜らしい」と呼ばれる中で、人間の真の姿が忘れられてしまっています。
 イスラエルの民族は、「聖なる民」、「宝の民」と神さまに呼ばれていますが、現実の姿は、力も弱く、神さまに背いてばかりの、無力で、貧弱な民族です。どこの国よりも弱く貧弱なイスラエルを神さまはあえて選ばれたのです。イスラエルを愛されたのです。「わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」というパウロの言葉を思い起こします。
 私たちは、「クリスチャンらしい」クリスチャンでも、クリスチャンでなくても、同じように心が弱く貧しくて、無力な人間です。「キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで、自分の弱さを誇ろう。わたしは、キリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、私が弱いときにこそ、わたしは強いからである」とパウロは告白します。クリスチャンになっても、貧弱な心、貧弱な姿には変わりないかもしれない。何度も私たちは同じ過ちを繰り返してしまいます。けれど、神さまは私たちを宝と呼んでくださるのです。
 弱さのどん底にいる人間に、神さまは、イエス様を最も弱い赤ん坊の形をとらせ送ってくださいました。イエス様は救い主です。でも、全く救い主らしくありません。弱さの、無力のどん底に生き、そこに苦しむ人々と共に生きました。そのお方が私たちと共に歩いて、生きてくださるのです。「〜らしく」生きようと肩を張らないで、安らいで歩みなさいとイエス様が語りかけてくださっている声が聞こえてくるようです。

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