御言葉に聞く

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「喜びは尽きない」


regbook.gif「イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重になった。夫ヨセフは正しい人であったので、彼女のことが公になることを好まず、ひそかに離縁しようと決心した。彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリアを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」。すべてこれらのことが起こったのは、主が預言者によって言われたことの成就するためである。すなわち、「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは「神われらと共にいます」という意味である。ヨセフは眠りからさめた後に、主の使いが命じたとおりに、マリアを妻に迎えた。しかし、子が生まれるまでは、彼女を知ることはなかった。そして、その子をイエスと名づけた。」

マタイによる福音書1章18節〜23節

 
 クリスマス物語の中で、ヨセフはどちらかと言えば、忘れられた存在です。しかし、隠れた部分でヨセフほどクリスマスの恵みに触れ、生かされた人はいないのではないでしょうか。
 身に覚えもなく、婚約者マリアの妊娠を知らされたヨセフの悩み、その苦しみは私たちの想像を絶するものです。愛する者に裏切られた思い、疑いの中で、ヨセフは苦しみます。しかもその苦しみは誰にも言えないのです。しかし、クリスマスの出来事はそういうまことに人間的な、しかも深い心の悩みの真っ只中で起こった出来事であったのです。
 クリスマスは華やかです。しかしその華やかさの中で、私たちが忘れてはならないことは、クリスマスは私たちの深い心の悩み、暗闇の中に主イエス・キリストが来て下さったということ(私たちが行ったのではありません)。悩める「私」の前に主イエス・キリストが来て下さり、暗闇を照らし、希望を与えて下さったということです。その事実を忘れてはならないのです。
 ヨセフは、深い悩み、苦しみの中で、ただひとり、神さまの前に立たされました。誰も知らない心の悩みの中で...。そしてそこで神さまはヨセフと出会って下さり、心の悩みをいやして下さったのです。
 私たちにも、ヨセフのような誰にも言えない心の悩みがあります。神さまにすらそれを隠そうとします。しかし私たちはその心の悩みのある場所、神さまと出会う場所を大切にしなければなりません。それを隠すのではなく、あえて私たちはそこに立たなければなりません。クリスマスはそのような時なのです。
 私たちは心の深い所に立って神さまと触れ合う。神さまは私たちと一緒におられます。私たちがどんなに絶望し、望みを見いだせなくても、神さまは私たちと共にいて下さる。私たちが決して絶望せず望みをもって生きるようにして下さる。私たちと共にある神さまは、そのために十字架にまで赴かれたのです。私たちは、そこに生き続けるのです。
 クリスマスの時、私たちの現実に降りて来て下さる神さまは、尽きることのない喜びを与えて下さいます。そのお方の誕生を心から喜び、感謝をもってお迎えしたいと思います。

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