御言葉に聞く

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「主を待ち望む」


regbook.gif「だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである」

マタイによる福音書25章1節〜13節

 
 主イエス・キリストはこの譬えを通して、私たちに問いかけられます。あなたのあかりはともっているか。あなたには自分のあかりをいつでも、灯すに足りるだけの油があるか...と。あかりとは私たちの信仰です。そしてそのあかりを灯す油とは神さまに向かう心だと思います。
 私たちの人生には嘆かなければならないことは、いくらでもあります。しかし、主イエス・キリストは、「だから目を覚ましていなさい」と言われます。そして、あなたはあかりを灯すことができる、いや私がそのあかりを灯すのだ。あなたは油を持つことができるのだ。それが私があなたに与えた恵みではないか、と言われるのです。そして、私たちがその主の恵みの中に生きるとき、たとえどんな絶望の中に自分が置かれても、希望を持って歩むことができる。目を覚ましていなさい。わたしは来る。その望みに生きなさいと主イエスは私たちに語りかけるのです。
 私たちはいつも目を覚ましていなければなりません。目を覚まして、いつも希望を持って生きなければなりません。主がいつ来て下さるか、それは私たちには分かりません。しかし主が来て私たちを必ず救って下さるという約束を信じて待たなければなりません。待つことによって希望が与えられます。信じて待つことができるので、どんなことにも耐えることができます。待つことができなければ、今を耐えて生きることもできません。すべてが絶望的な暗闇の中にあっても、再び主が来て下さるという信仰は、その闇夜にまばゆく輝くあかりとなります。その希望に生きるとき、私たちは安心して生きることができるのです。後ろばかり振り返らず、前にある希望をいつも追い求めて、神さまに従うものとなりたいと願います。

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