御言葉に聞く

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「小さな業を用いて下さる主」


regbook.gif「「ここに大麦のパン五つと、さかな二ひきとを持っている子供がいます。しかしこんなに大ぜいの人では、それが何になりましょう」。イエスは「人々をすわらせなさい」と言われた。その場所には草が多かった。そこにすわった男の数は五千人ほどであった。そこで、イエスはパンを取り、感謝してから、すわっている人々に分け与え、また、さかなをも同様にして、彼らの望むだけ分け与えられた。」

ヨハネによる福音書6章1節〜14節

 
 福音書は二千年ほど前に書かれた、文書ですが、すべてが歴史に忠実に書かれているわけではありません。そこには当時のイエスさまを信じる人達の信仰が、表されています。ですから、この物語の背後にある事実を私たちは見極めなければなりません。そして、どうして、このような表現として文章に残されたのかを知る必要があるのです。
 ここで子どもは5つのパンと2匹の魚を持っていたと記されています。それをイエスさまのために捧げた物語が、この話の原型です。この子はどうして、大切な大切なお弁当をあげてしまったのでしょうか。
 それはイエスさまのことが好きになったからだと思います。でもただイエスさまを好きになったから、お弁当をあげたのではないと思います。イエスさまは繰り返し、繰り返し、人々に「愛」の話をされました。人を愛しなさい。神さまがみんなを愛しておられるのだから、みんなも自分の隣にいる人々を愛しなさい、と語られました。
 ここでもイエスさまは五千人以上の人々に愛を語られたでしょう。その語られた愛に打たれて、この子どもはお弁当を捧げたのです。みんなの為に食べてもらおうと思って捧げたのです。
 当時、出掛ける時には、自分の食べるものは、自分の着物の帯の中に入れて持ち歩いていたと言われています。ですから、多くの人が自分の食べるぐらいのお弁当は持っていたのです。もちろん貧しくて、お弁当を持って来ることができない人もいたでしょう。しかし、その子どもの姿を見て、子どもの愛に生きる姿を見て、多くの人々が自分たちのお弁当をもイエスさまに捧げたのです。その結果、五千人以上の人々がお腹一杯になるというびっくりするような出来事が起こったのではないでしょうか。
 この物語を書いた人は、それがイエスさまがなさった奇跡であると言わざるを得なかったのだと思います。イエスさまの愛の御言が不可能を可能にしたのだ、という理解をしたのです。
 人は自分中心です。自分さえよかったらいいと思います。どんなに自分は人のことを大切にしている、愛していると思っていても、結局は自分が一番大事なのだ、ということに気づかされます。その時、自分には人を愛することはできないのかな、という思いを抱きます。
 そのような私たちに対して、イエスさまは常に聖書を通して、愛の心を語られます。そして、私たちがその御言を聞き、その御言が自分に対して語られていることに気付くとき、自分は変えられます。自分のためだけではなく、他の人々のために、子どもが自分の大切なお弁当を捧げたように、生きることができるのです。私たちは文句を言ったり、けんかをしたり、人を憎んだりします。でもそのような私たちはイエスさまによって、愛の心、暖かな心に変えられるのです。教会は神さまの家族です。この教会には神さまの愛が満ち溢れています。その愛を私たちはいただいて、それぞれの場において生かされているのです。

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