「主よ、あなたは世々われらのすみかでいらせられる。山がいまだ生まれず、あなたがまだ地と世界とを造られなかったとき、とこしえからとこしえまで、あなたは神でいらせられる。あなたは人をちりに帰らせて言われます、「人の子よ、帰れ」と。あなたの目の前には千年も過ぎ去ればきのうのごとく、夜の間のひと時のようです」
詩篇90篇1節〜4節
詩篇90篇は、私たちの人間の一生の時間と、永遠なる神さまとを比較している非常に有名な詩篇です。
ここで詩人が語ろうとしていることは、まず私たち人間の生命の基盤は神さまにあるということです。詩人はそこから自分の人生をとらえ、自分が今生きているのは、神さまから生命を与えられ、すべて備えられていることによるのだと告白します。
そして、人間の死を次のように表現しています。「あなたは人をちりに帰らせて、言われます。『人の子よ、帰れ』と」。人がちりに帰る、つまり死ぬことは、神さまが「人の子よ、帰れ」と言われることによって起こることなのだと言うのです。
「帰る」と訳された言葉は、「故郷へ帰る」という意味の言葉です。人間は、神さまによって造られ、神さまからこの地上におくられたものでありますが、神さまが私たちに「もう帰って来い」と言われる時がくる。そして神さまのもとに帰っていく、その間の期間が私たちのこの地上での歩みなのであります。
私たちの人生は、非常にはかないように思われます。人の死に立ち会う時、私たちはそのような思いを抱きます。しかし、神さまを信じる者は、死がすべての終わりではないことを知っています。この地上での生はたとえはかなく、短くとも、神さまの永遠の時の中で私たちは生きているからです。そのことに気づかされた時、私たちのうちに希望が与えられます。いつ終わるか分からない、神さまが「帰れ」と言われれば、この地上での人生を終えなければならない。しかし、そこには死への恐怖ではなく永遠の生命に生かされる希望、復活の主がいつも共に生きて下さる恵みが与えられるのです。