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2012年


干支 – 巳のこと

巳三対写真

師走・・・そろそろと来る新年の準備を始める季節です。

毎年、楽しみにしていただいています干支の作品。
来年の干支『巳』を制作いたしました。

干支の「巳」写真

ブロンズ  5×3×4.5cm

ころりと円き掌に乗るかたちの「巳」

「つきをむすぶ」写真
つきをむすぶ
ブロンズ  6.5×10×2cm

円く空間を結びつけるイメージで「つきをむすぶ」

「つきをまもる-阿」写真 「つきをまもる-吽」写真
つきをまもるー阿
ブロンズ
17×3×2cm/円盤直径5cm
つきをまもるー吽
ブロンズ
17×3×2cm/円盤直径5cm

垂直方向に伸び上がるイメージで「つきをまもる」を二体
阿と吽を制作しました。
こちらは、ひとつひとつ独立していますが、
阿吽の二体を並べるのも一興かと。
従来の巳の蜷局を巻いている形ではない形を作ろうと挑戦してみました。
招福万来、幸多き世にと願いを込めて・・・。


-年を彩る動物たち —
干支彫刻展/12月19日〜25日

高島屋京都店6階美術画廊 に十二支(ブロンズ)を出品しております。
お近くの方はどうぞご高覧ください。

十二支写真1 十二支写真2
干支彫刻展出品  十二支(ブロンズ)

※作品をご希望の方は下記アドレスまでご連絡ください。

カタログをお送りさせていただきます。
e-mail : cast-y.1or8.ka@iris.eonet.ne.jp
( 件名/干支−巳 としてください)

 

 


第97回二科大阪展

暑い夏の光が残る9月、東京・六本木 国立新美術館で開催された二科展が
深まるゆく秋の天王寺公園・大阪市立美術館に巡回して参りました。

東京展程規模は大きくなく、関西の作家が中心の展覧になりますが、

大阪展では第61回こども二科展と第10回ポストカードデザイン大賞展が併催されます。

出品作「Kanon - 残月」と「Kanon - 羽化」、ご高覧いただければ幸いです。

写真作品 写真搬入風景

◎ 第97回二科大阪展:10月30日~11月11日(11月5日休館)
大阪市立美術館(天王寺公園内)地下展覧会室
午前9時30分~午後5時(ご入場は4時30分まで)
入場料:一般900円 大・高生600円 中・小・幼300円
前売り券取り扱い:チケットぴあ・ローソンチケット

写真子どもの絵 写真美術館から通天閣を望む
写真美術館正面玄関 写真旧黒田藩蔵屋敷長屋門 写真銀杏の木からあべのハルカスを望む


写真イメージ

湯浅町「甚風呂」

甚風呂外観写真 甚風呂暖簾写真

湯浅の町中散策、「甚風呂」(戎湯)という名の、
江戸時代から昭和35年まで4代にわたって続いたお風呂屋さんがある。
今は、お風呂場とともに郷土民芸の保存館になっている。
湯浅にいながら初めて中を見学した。 とても面白い。興味尽きず・・・。

甚風呂番台写真 甚風呂浴槽写真
甚風呂番台 錫とアルミの合金の風呂桶

中世の町並みを今に残す醤油発祥のこの地の事を、
未だ知らないでいるところが実は沢山あると改めて感じた。

写真 写真 写真
黒い扇風機と、まるい鏡
丸いちゃぶ台は、
真ん中が開いて・・・鍋をしたとか
長持 左は アイスクリン製造機
右は 天秤ばかり


写真 アイロン写真 ふいご写真
これは スタンプ掛け
お洒落です
アイロン 
このフォルムが魅力的!煙突がいい

これは 船の「霧笛」
ふいごの原理を応用したもの
とか・・・
今も音が鳴る・・・

 

 


新作Silver Works

シルバーイメージ写真

2010年11月の個展以来の、新作シルバーを制作しました。
彫刻制作からこぼれ落ちるように生まれるかたちを見極めチョイスする。
出来る限り、手を加えない。
一貫して守っているシルバーワークスの作法です。


制作中写真01 制作中写真02 制作中写真03 制作中写真04


新作シルバーアクセサリー01前写真 新作シルバーアクセサリ-01裏写真 新作シルバーアクセサリー02写真 #
the bean of Socrates heart  

作品は一部
和歌山県立近代美術館・ミュージアムショップでご覧いただけます。

 

 


アトリエ小僧日記

7月18日

今日の昼下がり、アトリエの小窓から小学生の男の子たちの顔が・・・アトリエをのぞき込んでいた。「こんにちは」というと照れくさそうに「こんにちは」と返ってきたので、「中見ていくか?」と声をかけると「見ていいん?」と返事。

「えぇよ」とシャッターを開けてやると、下校途中の5人の男の子たち。

小学4年生という。それぞれに感嘆の声をあげて作品を見ていた。制作の事を話すと静かに聞き入っていた。中に何があると思っていたのだろう・・・。

7月19日

写真イメージ #

昨日もまた、アトリエ訪問者が・・・。

「ゆうれいやしきやで~」の声と小さな顔が・・・かろうじて窓から顔が見えた。「ゆうれいやしきとちがうで」とわたし。

窓越しの会話、、、「小学1年生」の男女三人組。「あそこに立ってるん、神様~?」「神様かぁ、、、あれはおっちゃんが作ってん」「えぇ~!!!」

「中見るか?」の問いかけに初めは尻込みしてたが、おそるおそる入って来た。

気付いた2年生の男の子も加わった。彼らの背丈から見上げるアトリエの景色は・・・?!「ねんどでこんなん作ってるんやで・・・」「すご~!こんなん作れるってやっぱり神さんみたいや。」「うちのお父さんはできひん」

しばし、いろいろ触りまくり「また来るわ・・・」と訳わからんけどかわいいお子たちでした。

7月20日

写真イメージ

 

#

昨日の子たちが学校帰りに、窓から声をかけてきた。

「また来るわ・・・」は本当だった。。。

昨日の作品を見て、変わったところを指摘したのには驚いた。

明日から夏休み。いぃ夏になると良いね!



9月10日

アトリエ小僧が叫ぶ。「おじちゃ~ん!」「お~~ぃ!」「いてるぅ~?」かわいい声が響く。

ちょうどアトリエ2階の部屋にいたので、窓越しに「お~。こんにちは!」と私。

「あれ、できたぁ~? 見せてぇ~」「できたよ~。入るか?」 「うん!」

シャッターを開けて、お嬢さん二人アトリエへ・・・

「あの作品なぁ、できあがって今東京の美術館に行ってんねん・・・」と私。「ふ~~~ん・・・」
「写真あるから見るか?」「うん!見たい」

作品写真 写真イメージ

写真を見ながら「こんなになったんや・・・すごいなぁ・・・」

「これほしいなぁ・・・・そやけど、お母さんに叱られるなぁ・・・」

「ほしいんか・・?」「そやな・・・」

「だれにもナイショやで」「えっ!!ほんま?!!」

作品の葉書を嬉しそうに一枚づつ ランドセルに入れた。

「12月には、帰ってくるから、また見てや。」

「うん!」

「雨降ってきたから、気ぃつけて帰るんやで」

「うん!ありがとう!」

きちんとご挨拶のアトリエ小僧たちでした。

9月11日

下校する小学生の声がする。

小窓越しに「こんにちは!」と、アトリエ小僧さんの顔が上半分・・・見えた。

「おじちゃん、開けて~~」と

シャッターを開けると、今日はひとりで二人の男の子を従えてあらわれた。

「あんな、きのうのひみつのしゃしんあるやろ・・・。この子らも見たいんやてぇ。見せてやってくれる??」

(おいおい、それ「ひみつ」になってないやんか)

「そうか・・・。ほな、今日は見せるだけやで・・・」と私。

アトリエに入って来たひとりの男の子が、作り始めた作品を見て、開口一番「これ、シンサク?!」

「えっ!シンサクなんて言葉知ってるんや・・・」

「うん!しってるで!」と男の子。

「大きいやつは?作らんのぉ?」

「大きいやつか・・・。また、作るよ。」と私。

写真を見せると、「ウヮ~~~・・・」と二人の男の子たち。

私が「シンサク」の作品を作るのを見ながら、しばらく、あれやこれやとお話しを・・・。

「もう帰らんと・・・」

「また見せてな」と三人。

「帰ろ!!」と走り去る。

三つのランドセルが、あっという間に小さくなった。

9月24日

写真イメージ #

久しぶりに、アトリエ小僧さん二人組現る。

大きな声で、「作品見せて~~!中入れて~~!」

「だいぶん進んだよ」

「ほんまや~」と二人。。。

・・・・・

「わたしらも、なんか作りたいなぁ・・・」
(おぉ~~・・・来たな。。。とほくそ笑む私)

「今日は早よ帰らなお母さんに叱られるから、またな!」

「そうやな。また、時間ある時においで。」

「うん!」「さいなら~」と、元気よく駆け出して行った。

9月27日

「こんにちは~」とアトリエ小僧さん。

今日は、前に来たかわいい男の子と二人で現れた。

作品を見るなり、開口一番「わぁ~~!服着てるー!」と彼女。
ちゃんと前の作品の状態を覚えてるんやね。
しばらく、私の作業をじっと見てる二人。。。

「明日、社会見学行くねん!」「ほぅ~、どこへ行くん?」
「わんぱく公園!」「あー、海南のか?」
「うん。そうそう。 楽しみやねん*お弁当持って行けるし!」
「そうかぁ~。楽しみやねぇ。お母さんにお弁当作ってもらうんや」
「うん。卵焼きとかな・・・」

私は、作業をしながら、彼らは辺りを見回しながら・・・

写真イメージ #

試作中の「干支」を見つけて「ヘビや!」 眺めて触れて・・・
「これかたいなぁ」と粘土を持つ。
土粘土の性質の話をしてやると、静かに聴いている。

話していると、新たに二人の男の子が入って来た。
「こんにちは」・・「こんにちは」・・・一人は以前一度来た2年生の男の子だった。

作品に興味津々な様子。
そして、ついに四人が粘土に触る!!
「なんか作っていい?」「いいよ!」と私。
「粘土気持ちいいやろ~」「うん」と四人。
しばらく黙って、粘土をいじくっている・・・私も制作する。
ものを作ってる時って、黙るんやね。

それぞれに、出来たと机の上に並べて、満足したのか、現実に戻ったのか、
「あぁ。帰らんと・・・!」
先に、2年生が帰って行った。

1年生は、まだ居たそうだったが、「明日、社会見学やしもう帰り。」と言うと、「そやな!」

「ほんなら、帰るわ!ありがとう!」「明日、楽しんでおいで」

「うん、さよなら~」いつものように、駆け出して行った。


第97回二科展(絵画・彫刻・デザイン・写真)
六本木・国立新美術館/9月5日~17日(9/11休館)
http://www.nika.or.jp

二科展ポスター写真

 

カノン残月作品写真 カノン羽化作品写真
kanon-残月 kanon-羽化

9月5日初日の二科展の準備で、再び、明日(9/3)から上京します。
今回の出品作品は「Kanon - 残月」と、全国巡回作品「Kanon - 羽化」です。
東京近辺にお住まいの方、ご高覧いただければ幸いです。
私は、初日・会場にいる予定です。

 


夏の終わり 八月
写真

第97回二科展(国立新美術館)出品作品を、アトリエから搬出しました。
いつもの事ですが、作品がなくなったアトリエに夏の終わりの気配を感じます。

今回の作品は、Kanon – 残月 と名付けました。

昨年は、夏の制作を中断。その作品をようやくこの春に仕上げましたが、制作にささやかな光を求めるような態度は、今回の制作にも引き継がれました。
帰命無量寿如来 南無不可思議光 正信偈の祈りの一節・・・

kanon-残月写真

人間がそこに立って、只在るという、その事の不思議さとその存在の美しさ。
それは、生命そのものの存在の美しさです。
静かな、凛とした、しなやかな芯の様な彫刻をつくりたいと思います。

それにしても、今年の夏の異常な暑さはかなりこたえました。
思うように進まぬ制作の、いらいらや不安やらもこの暑さ故か・・・。
半地下のアトリエは、もちろん空調などなく夏場は粘土が乾くので窓もそうそう開けられず、蒸し風呂状態です。面白い事に、脚立に上るだけで上下の室温の差がわかるのです。

夏ならではのひとときもあります。
汗を噴き出しながらの制作の中、昼下がりを過ぎた頃、凪の様な時間が止まったかの様な一瞬があります。
未完成の作品のかたちがとても美しく見える一瞬。
音も無く、寂とした夏の一瞬でしょうか・・・

アトリエ写真

夕刻の薄暗がりのアトリエの、逆光線の中に見る作品の陰影に、明日の仕事の問題を垣間見ることもあります。
暗がりのアトリエで、ふと一息つき、「やっぱり、彫刻が好きや」と思います。

「残月」とは、明け方の空にまだ残っている月のことをいいます。


月桃・粘菌 − 南方熊楠記念館

粘菌写真
粘菌

 

南紀白浜・南方熊楠記念館で行われた「粘菌教室」に妻と二人で参加した。

記念館には「月桃」の花が咲いているという。

月桃写真1 月桃写真2 月桃写真3 月桃写真4

 

 

 

 

 

 

以前、ギャラリー猫亀屋での個展の際、オーナーの今泉さんが沖縄から持ち帰った実を妻が分けてもらっていた。「月桃」という名前と、ほのかに甘い香りにひきつけられる。
沖縄でしか見られないと思っていたので、粘菌に加え今日の楽しみのひとつになった。

大振りな緑の葉と、花は細長いさやに包まれていてそのさやが割れて中から白い花が出て咲くようだ。近づくとほのかに甘い香りがする。

粘菌教室は、定員20名の参加者。

粘菌教室写真
粘菌教室の山東先生  

山東英幸先生(信愛女子短大講師)の講義から始まった。

変形菌(粘菌)は、名前に「菌」とつくにもかかわらずカビやキノコではなくバクテリアとも違う・・・。「粘菌」と呼ばれるのは、成長している時にさわるとネバネバしているから。「ホコリカビ」と呼ばれているが、それは胞子がホコリのように飛ぶからだという。何とも不思議な・・・動物的な一面が見られるかと思いきや植物的でもある。けれど、どちらの分類にも属さない・・・。

百聞は一見にしかずで、記念館周辺の番所山に繰り出し、粘菌探しが始まった。

ルーペ片手に大型のピンセットで枯れ葉や朽ち木とにらめっこ。

ほんの数ミリのよくわからないモノを探す。

普段の生活には無い視点である。

カビやキノコと見分けがつかない・・・。これは!と思って先生に見せるも、「これはカビです」「あぁ、これはキノコ」とあえなく返される。

けれど、何にせよのぞき込む微小な世界には、カビはカビとしてキノコはキノコとしての形と色彩を持っている。粘菌はそれ以上に独特な世界と持っているという事だ。

館に戻り、妻が採取した粘菌「シロエノカタホコリ」を見たがとても美しい。
順子の標本写真

そして、さらに顕微鏡で見る粘菌はその色と質感が美しく金属的だったりするから興味が尽きない。

これはまさに、「一微塵にも宇宙あり」という華厳の教えそのものではないか!

南方熊楠の資料その1 南方熊楠資料その2
南方熊楠記念館の展示資料の一部

 

粘菌は、気付かないだけで我々の身の回りにも存在するという。
またひとつ、楽しみが増えた。

極小の世界に浸った目には、館の屋上からの田辺湾の眺めはとても清々しく心地よい。
ルーペの中も自然、この大海原も自然。

記念館展望からの風景その1 記念館展望からの風景その2 記念館展望からの風景その3

 


文月

新制作中写真

「Kanon − 掬水月在手」を、京都Fさん邸に納めた。

かねてからのご依頼だったが、私の体調不良で制作に掛かれず随分長くお待ちいただいたが、この度、やっとこたえられた。

F邸カノン写真1 F邸カノン写真2

 

私の作品をずっと観つづけてくださっているお一人なのだが、「Kanon」にご自身の祈りへの思いを聞かせていただいた事もあり、今回は特に、静謐さと寂静たる存在をかたちにする事を求めた。
—掬水月在手— 手に掬った水に天空の月が映るよ・・・という漢詩をあてたのも、この作品に対する私の思いからだった。

空間を切るような緊張感よりも、ここには、凛として尚しなやかなフォルムをと・・・

9月の二科展(国立新美術館)の制作は、この思いを引き継いで始まっている。

 

制作中写真2 制作中写真3

7月 文月 七夕過ぎ
アトリエの空気は梅雨を越して初夏。
空には積乱雲。

空パノラマ写真

 


いぬいの会彫刻展

「いぬいの会」ロゴタイプ

「いぬい」とは、戊・亥である。
二科会彫刻部会員に名を連ねた、1958・59年生まれの同世代というキィーワードで
集まった5人が、2009年夏に立ち上げた会である。

2010年大阪高島屋を会場に1回展を開催。
そして今年2012年2回展を開催する。
東京在住3名、名古屋・和歌山在住各1名による・・・
今回は、どのような空間になりますやら。
ご高覧いただければ幸いです。

いぬいの会彫刻展 /神田毎実・二ノ宮裕子・橋本和明・松田重仁・宮澤光造

平成24年6月27日(水)〜7月3日(火)
高島屋大阪店6階ギャラリーNEXT (最終日は午後4時閉廊)
大阪市中央区難波5-1-5 tel: 06-6631-1101
6月の営業時間:午前10時〜午後8時
7月の営業時間:午前10時〜午後8時30分

作品「ぷかぷか」写真 作品「福樹」写真 作品「響」写真 作品「kanon-掬水月在手」写真
「ぷかぷか」神田毎実 「福樹」松田重仁 「響」二ノ宮裕子 kanon - 掬水月在手
橋本和明
作品「ホームにて」写真      
「ホームにて」宮澤光造      

 

 


触れること、視ること

製作中の橋本和明写真

kanon − 空の柱が展覧会を終えてアトリエに帰って来た。

kanon − 浮月(2009) と kanon − 空の柱(2010) の間に置いてみた。

kanon(カノン)とは、元々ギリシア語で戒律を意味する言葉で、私は自らの制作への
自戒の意味も込めてかれこれ7年前から作品のタイトルに使うようになった。
kanon(カノン)は、観音と響きを一にするイメージがある。
他に、音楽用語で輪唱曲という意味もある。

kanon横顔写真 kanon手、写真 カノン足元写真

 

カノン作品写真

浮月・空の柱ともに、当時の制作意図や思いがそれぞれにある。
間に入った新しい「空の柱」は、以前の2作と比べ少しかたい感じがした。
制作に空白の時間があったからか、時間をかけすぎたからか・・・
けれど、共通してある作品に対するイメージは
静謐さと、寂静たる存在をかたちにすることであった。

コスチュームで人体を隠す事で、フォルムを静かにさせる分
頭部・・・顔の表現はリアリティーが必要になると考えている。
無駄なかたちや量を削ぎ落とした芯のような人間の存在を追求したい。

彫刻は触覚の芸術だと言われる。
その通り、「触れる」事から始まるし、触れる事で解る事がたくさんある。
けれど、同時に、彫刻には「視る」事も、とても大事な事であると思うのだ。

視る・・・ 作ったものを確かめるために視る ―描く―発見—
作る(触れる)〜 描く(視る)〜 この往復運動の繰り返し 反復。
そして、存在を視る(掴む)為には距離を置かねばならない。

これから夏の制作の序章だ。

その前に、グループ展の新作の制作だが・・・。




kanon – 空の柱

「kanon - 空の柱」全体写真 「kanon - 空の柱」部分写真
kanon - 空の柱

昨年夏、突発性難聴を患い制作中断を余儀なくされた作品がようやく完成しました。
年明けから少しずつ手を入れ続けていましたが、
新作との同時進行で制作して行くうちに二作品は呼応するように
それぞれのかたちが微妙に変化しました。
昨年はやはりこの制作を始めた頃から、私の身体は変調を来していたのかも
知れないと思い至りました。

空間に立つフォルムが微妙なところで「変・・・」と気付くことが・・・。
「私は何をしていたのだろうと・・・」
やはり、健全な身体と精神が制作行為を支えているという事かも知れません。

「空の柱」2体の写真無駄な量を削ぎ落とす。
人体の凹面との関わり・・・に責任を持つ。
変容するかたちとの対話のなかで発見がある・・・。

彫刻制作は良い・・・とあらためて感じた事でした。

一昨年制作の「空の柱」以来
正信偈「帰命無量寿如来 南無不可思議光」の一節は、いつも心の中にあります。
寂たる存在の緊張感
そこにひとすじの優しきひかり・・・

5月23日から、和歌山ビッグ愛で始まる「和歌山県美術家協会展」(5/23〜27)に
この作品を出品します。ご高覧いただければ幸いです。

第50回記念 和歌山県美術家協会展 5月23日〜27日・和歌山ビッグ愛

白浜展 5月30日〜6月3日・白浜会館  (10:00〜17:00/入場無料)


宮下善爾先生のおもいで

我が家にある宮下先生の作品の写真
 

アトリエを訪ねると、きまって仕事をされていた。
仕事の手を休めることなく話をされる・・・。
しかも、ウィットに富みかつ的を得ていて厳しい。

京都の陶芸家、宮下善爾先生が4月24日亡くなられた。

  1939年生まれ―73年の生涯。

 

私がこの作家を知ったのは、偶然手にした美術手帖が最初と記憶している。
「アフガンの風」・・・。陶芸作品なのに、その中に潜む彫刻性を感じ宮下善爾の名を
心に刻んだ。 金沢美術工芸大学を卒業し、金沢で制作活動を始めた1980年頃のこと
だと思う。私は自作の小さな窯でテラコッタの彫刻を制作していた。
彫刻を通じて知り合い交際を始めた彼女が、宮下善爾先生の工房に出入りしていると
聞き、連れて行ってもらったのが先生との出逢いであった。東林町の少し奥まった所の
お家でその日もやはり仕事をされていた。写真で見た作品が無動作に置かれてあり、写真で見た作家が目の前にいるのだから、緊張しないはずがなかった。ただ、天井には外国女性の大きなポスターが貼られてあったことだけを覚えている。

テラコッタ引き出物の作品の写真
 

彼女との結婚が決まり、私の作品をテラコッタにして引き出物にする事になり、二人で
作品と石膏型を持って先生のアトリエを訪ねた。
先生は、石膏型を見るなり「そんな型、直ぐにあかんようになるわ!!○○さんとこ連れて行ったり!!」と叱られ、お弟子さんに型屋さんに連れて行ってもらった。
先生の窯で焼いていただき、無事に引き出物が出来上がった。
「その作品、僕のは下の台、石にしてや!」
その作品は、いつもアトリエに置いてくださっていた。
以来、今までつかず離れずのおつき合いをさせていただいた。

陶芸と彫刻と多少分野は異なるが、立体造型という点で、私の方は宮下作品から学ぶこと も多々あった。

先生が沓掛にあたらしいアトリエを建てられた頃、制作の話の中で、「あんたら、彫刻どうしで仲ええんはええけど、二人おんなじ方向むいて墓穴掘ったらアカンで」と言われた言葉は今も折に触れて思い出す。

二人の子ども達が大学に進学し、奇しくも陶芸を専攻した。

これも何だか不思議な感じだったが、我々夫婦ばかりか子ども達まで先生のお世話になろうとは・・・。二人とも、先生独特のユーモアまじりの厳しさに鍛えていただいた。

「ほんまは親が言わんならん事かも知れへんけど・・・」愚痴りながらご指導頂いた。
彼らにとっては、先生の最後の仕事を近くで見られた事は、幸せな時間であったと思っている。

我々夫婦にとっては、2009年の春 NYでの先生の個展に同行させていただいた事が、
今となっては大切な良き思い出となった。腰の重い我々を半ば強制的に・・・連れて行ってくださったのだから。

ニューヨークの旅その1宮下ご夫妻写真 ニューヨーク旅行その2宮下先生と奥様と私たちの写真

京都に向う途中の車中から見た新緑の山々の風景が、そのまま宮下善爾の創るグリーンの グラデーションだと思った。

もちろん、作品は、宮下善爾というフィルターを通過して、より昇華され計画された色彩であるのだが、それが、自然の色彩そのものとオーバーラップする位計算し尽くされ、魅せられている事に気付くのである。

宮下善爾作品写真、題名「陽が生まれる」 宮下善爾作品写真、題名「海からの風」
    「陽が生まれる」

© Zenji Miyashita
撮影:畠山 崇

「海からの風」

©Zenji Miyashita
撮影:畠山 崇

2月中旬、先生が入院された日にお目に掛かり、まだ元気な口調で今回の個展の話をされていたのだが、実は、ご自分が残された時間がもうあまり無い事を一番わかっていらしたのではなかったかと、今思う。

思えば、不思議なご縁としか言いようが無いが、
またひとり、先を行く先輩がいなくなった。
残念でならない。

私の中で、これから制作中にふと思い出される言葉がきっとあるのだろう。

感謝を込めて、ご冥福をお祈りするばかりだ。

先生の事、きっと、
あちらでこちらの制作の続きをされているとおもうのですが・・・宮下先生。


宮下善爾
— 時空のいろどり —

宮下善爾 彩 陶展 — 時空のいろどり —(高島屋京都店3/28〜4/3)を観た。

少し照明を落とした広い空間に入ったとたん、背筋がピンと伸びたように感じた。
ひとつひとつの作品が、群れになってつくる緊張感か・・・。

宮下善爾氏は、土を介し、空気をつかむ、空気を曲げる、あるいは立ちのぼらせる・・・
その緊張と緩和のバランスは、まさにこの作家独自の境地と思った。

宮下善爾作品「円空」写真 宮下善爾作品「風はらむ」写真 宮下善爾作品「アフガンの風」写真
宮下善爾「円空」 宮下善爾「風はらむ」 宮下善爾「アフガンの風」

その作品は、観る者に、時を越えて自然の中に存在する「モノ」を感得させる。
それは、空気の流れであり風のゆらぎであり、光の匂い、水のきらめき・・・
気配という目には見えぬモノをかたちにしようとしているのではないかとさえ思わせる。

円 空 — 球体の面を切るという粋。

優しさは強さであると、凛としたフォルムと色彩が語りかける。
NY・アーモリーの個展「SOFA NEW YORK ’09」に同行した際、
作品のフォルムを決定する境界の見切りについて会話したことを思い出した。

風はらむ — 有機的なフォルムの足元から曲線を描きながら

ゆらゆらと立ちのぼるかたちは、一瞬、人間を感じさせた。
土を介して、自在に空気を曲げていると感じた。
目に見えぬ風のフォルムが
幾重にも重なる色彩のグラデーションとなってあらわれる。
そして、頂点のあわいピンクが何ともセクシーなのだ。

「アフガンの風」(1980年)という作品がある。

美大を卒業し、金沢で制作活動を始めた頃、宮下作品を写真で知った。
陶芸作品なのに、そこに潜む彫刻性のようなものを鮮烈に感じたのを今も覚えている。
以来、出逢い、アトリエに出入りさせてもらうようになった現在も、私は、この作家を一種憧れと尊敬をもって観ているところがある。

凛としてゆるぎない・・・

けれど、そこはかとなく儚い

潔さと、粋な色っぽさ

厳しさの中のユーモア・・・

宮下善爾氏は、日本の自然と人間を観察し、陶芸の地平に独自のものを求めつづける。
そのフォルムと色彩は、観る者の心に深く関わってくる。
そんな作家の魂を垣間見たように感じ、個展会場を後にした。

 


あんずの蕾写真

 

三月・春分の日が過ぎ、ずいぶんと日が長くなって来た。

アトリエに射す光を求めて、作品を光の方へ明るい方へと
移動しながら制作していたのが、その必要もないくらい、
夕刻になっても電灯をつけずに制作できる。

アトリエ写真1 アトリエ写真2
アトリエ写真3 アトリエ写真4

 

春、四月 京都で発表の「kanon」新作が佳境にはいって来た。
これは、かねてからFさん依頼の作品でもあるのだが、
私にとっても、昨年来、休んでいた彫刻の時間を取り戻す作品でもある。

ハナズオウの蕾写真
花蘇芳

庭の杏と花蘇芳の蕾が、日一日とふくらみ始めている。
彫刻の時間と符号するかのように・・・・

 


金沢

1980年冬 雪の犀川にて

 

金沢に行って来ました。

何年ぶりでしょうか・・・

今回の目的は、金沢美術工芸大学大学院に合格した息子の部屋探しです。
世の中はインターネットの普及である意味本当に便利になったものだと 思います。金沢の不動産屋さんとネットでやり取りし、あらかじめ物件を 絞り込んだうえでの部屋探しですから。

息子一人に任せても良いものを、金沢となるとやはり落ち着きが無くな り動き出してしまいました・・・。親バカです。

しかし、金沢美大大学院合格は親としてとても嬉しい事でした。

これから始まる金沢での学生生活のなかで、
彼はどんな事を考え、何をするのか・・・
もの作りという立場で、ある意味、対等に制作の話ができて行くようになる 事を楽しみにしています。

和歌山を出て、金沢に行く列車の中で、少しの不安とそれ以上の喜び を抱いて行った30数年前のあの頃とオーバーラップして来ます。

車窓からの湖西線風景1 車窓からの湖西線風景2

京都8時41分 サンダーバード5号。
妻と息子が何やら話している横、車窓から、良い天気にめぐまれた湖西の
雪景色を見ながら、私は、故郷へ帰るような気持ちになっていました。

三十数年前、美大を卒業し大学院の試験に失敗したところから
私の制作活動は始まりました。
先生はじめ、まわりの人々の有難いお誘いを断ち、
金沢に残って制作活動をする事が当時の私には必然でした。

そしてそれは、
犀川のほとり法島町に空き家を見つけ、家を直すところから始まりました。
家の前に小さな窯をつくり、テラコッタを焼き、セメントを鋳込む・・・
法島の家の近所には牛小屋があり、
家の裏は竹やぶで、雉を見たこともあるのんびりと長閑なところでした。

けれど、ひとりで制作活動を始めるという緊張感がありました

モロエの顔
1980(二科展 竹の台賞)

その年制作した作品のひとつが「モロエの顔」

二科展で受賞し、重鎮 淀井敏夫先生との出逢いをつくってくれた作品でした。








まちの中に雪は残っているものの、気持ち良い快晴。
金沢駅から、武蔵が辻を通り兼六園を横目で見ながら石引通りへ・・・

懐かしの店『JO–HOUSE』
学生時代にあった場所からかわっていましたが、一歩店の中に入ると
当時の雰囲気が感じられる、しっかりとした木のテーブル。

金美彫刻OBが主催する、JO-HOUSE 40周年記念パーティーと、
そして記念Tシャツ!

 

「3月24日・・・来てください!」とマスターの娘さん。
タイミング良く連絡をくれた彫刻科後輩のH君をまじえ、
辛い懐かしいカレーをいただきました。



部屋探しも無事終わり、兼六園下に金沢21世紀美術館をたずねました。
妹島和世+西沢立衛/SANNAの設計で知られる、話題の美術館。

美術館パンフレットによると、
○世界の「現在(いま)」とともに生きる美術館
○まちに活き、市民とつくる、参加交流型の美術館
○地域の伝統を未来につなげ、世界に開く美術館
○子どもたちとともに、成長する美術館
ミュージアムとまちの共生により、新しい金沢の魅力と活力を創出していきます。
(館内のご案内より)
とありました。

「まちに開かれた公園のような美術館」とも・・・。

なるほど、われわれが居た数時間の間でも若い人達から年配の方々まで
かなりのにぎわい方でした。
作品とその設えは、面白いと思いましたが
ひとつひとつのホワイトキューヴが、何故か、私には落ち着かない空間でした。
・・・耳のせいか?とも思ったりしましたが、
これと同じような感覚を、NYのニューミュージアムで味わったと思い出しました。

 

美術館で待ちあわせた先輩のMさんとカフェで談笑しているうちに、
とっぷりと日も暮れました。
夜の美術館は青い闇に浮かぶガラスの箱のようで、それはそれできれいなものでした。

翌日、京都での仕事を終えて、和歌山—京都—金沢 2日間の小旅行が終わりました。

和歌山に戻り、もう一度、金沢21世紀美術館の事を考えてみました。

現在(いま)とともに生き、市民を巻き込み、伝統をつなぎ世界に開く。
さらに子どもたちと成長する。

共感はしますが、欲張りすぎてはいないか?
ふと、学生にとてもやさしく手厚いフォローをする最近の大学を思い浮かべました。

私が感動した美術館のひとつに、NYのイサムノグチ庭園美術館があります。

落ち着きと気品を兼ね備えた空間のつくりに、 そのインスピレーションの豊かさと深さに感動したことを思い出しました。

時を忘れて、いつまでもその空間に身を置いていたくなる。
それは作品の力によるものでもあるのでしょうが・・・。
「あれもこれも・・・」が無い美しさとでも言いましょうか。
・・・醸し出しているものが他と違うという感覚でした。

どうも、私の美に対する感覚と仕事は、
新しさというベクトルではなくベクトルの隙間を埋めるような、
美術という歴史の中で、そこにほんの少し厚みを加えるような、
そんな感覚と仕事に思えて来ました。
美術シーンに新しき事はとても大切な事で、否定はしませんが、
新しき事の追究だけではない方向の事も、亦、大切な事だと思います。

私が学生時代を過ごしたまちは、今回、あちらこちら劇的に変貌し迎えてくれました。
まちの変貌は、そこに消えたモノがあり、新たに生まれたモノが存在するという事。
新たに生まれたモノも、やがては時とともに古くなる。
JO-HOUSEのように、場所を変え代が替わっても
変わらず存在するモノは、古さに深みと気品を増し熟成の時を迎えるのかもしれないと
思いました。

変わらないモノと、変わるモノ・・・
ほんの数時間の金沢滞在でしたけれど、
「金沢はいつの時代も、その懐に遊び心を持つまち。」だと改めて感じました。


近況

梅の画像

聴力がなかなか思うように回復しないまま時を過ごしている。
聴こえが悪いだけでなく、時として、ある限られた音に対しては
耳に響いて逆に驚いてしまう。

三半規管の異常・・・

制作中に粘土をたたく音が、やはりこもって聴こえていることに気付いた。
この耳の異常は、制作にどの様なかたちで現れて来るのか、来ないのか・・・

処方されている薬の効果か、調子の良い日もあれば悪い日も。

医師は、ある程度、慣れることだという。

彫刻の画像
迷宮の森

先日、長年家族でお世話になっている、京都のS先生をたずねた。
Oリングテストを駆使し、人体のアレルギーをわかりやすく解いてくださる。
さまざまな素材でOリングテストを試みる中、
今回の私の場合、放射性セシウムが内耳に影響を与えている疑いありという。

先生の「原発事故と食の安全」というレポートの中にも、
『6月後半から、放射性セシウム(Cs)が関わっていると疑われる人が何人もいる』と
ある。
私の聴力低下も、これだけではない複合汚染で引き起こされている疑いがあるという訳だが・・・。
原発事故による影響を、何百キロも離れたこの地で、私の身体が受けて反応していると考えたとき、人体の不思議を感じると同時に、改めて、この地球をわれわれ人間があらゆるかたちで複合汚染していることに気付かされる。

先生に、「鮒ずし」をもとにした米粉からつくったヨーグルトを薦められて試している。
私の身体に合っているのか、これがまた美味。
ここの診療所には、はっと気付かされる発見がある。

 

私の身体は、ここでセシウムにも黄砂にも敏感に反応することを発見したのだ。
我々は、そういう空気を日々呼吸している。

それでも、我が家の庭先の梅は季節をたがわず小さな蕾をふくらませている。

 

 

 


如 月

ドローイング画像、題名「羽をもった日(2012)」
羽をもった日(2012)

 

日本海側の大雪のニュースに、学生時代を過ごした金沢の冬を思い出す。
6年間で2回、豪雪にあった。

雪はもういい・・・と言いつつ、
この寒さも、雪かきや雪下ろしの大変さも、
この雪の美しさには敵わないと思った。
ものの形さえも隠してしまう、白い寂とした風景が好きだった。
黒々と、欅のシルエットが
凛とした冷たい空気の中に緊張感を与えていた。
イメージ画像2

暦のうえでは立春を越したこの何とも言えぬ寂たる季節が今も好きだ。

アトリエに射す光のわずかな変化に、
冬の真底から少し浮上したことが、
無音の気配を通して身体の・指の・感覚に伝わってくる。
かたくなだった仕事をする手が、
ほんの少しかたくなから解放されて、もごもごと、しかし、休みなく
目にはさやかに見えぬ凹凸を探るかのように蠢き出す。

イメージ画像

昨年秋には回復していた聴力が、また、落ちてしまった。
耳閉感・耳鳴りと、制作中でもふっと気が遠くなる・・・時がある。
今年は、アトリエの中でひとりおろおろしている・・・。

真夏の寂・真冬の寂 半分閉ざされた耳の感覚で味わっている。

昨夏から残した宿題の制作に加え、新しい芯棒を組んだ。

如月2月は、やがて来る芽吹きの為の、夢の時間。

イメージ画像3

ホックニー展リーフレット画像

2月11日〜3月25日まで、和歌山県立近代美術館で
「ホックニーのグリム童話」が開催される。
和歌山県立近代美術館が誇る版画コレクションなどから
ホックニーの作品全てを展示・・・(リーフレットから)

楽しみだ。
展覧会観賞後は、ミュージアムショップで
橋本和明オリジナルシルバーアクセサリーもお楽しみください。

 


鬼のパンツ

鬼のお面1写真 鬼のお面2写真

京都の保育園、1月最後の授業は節分にちなんで『鬼のお面づくり』
今回は、色画用紙を使いかぶれる鬼のお面をつくることにした。

お面づくりが皆終わり、後片付けをしている中
余った色画用紙を集めて、何やらゴソゴソやり始めた4人組・・・

「何してんねん?」と私。
「鬼のパンツ作んねん!!」と彼ら。

「ふぅ〜ん」と、何も言わず、そのまま自由にさせといた。
給食の時間を気にしながらも、黙々と集中してパンツ作りにいそしむ彼ら。

鬼のお面制作中写真1 制作中写真2 制作中写真3 制作中写真
制作中写真6、

そうとう大きな鬼らしい・・・

しかし、制作途中で時間切れ・・・

次に行く2月の保育園。
できあがったパンツは見れるでしょうか・・・?


記憶

記憶(画像)

町の中で、見慣れた風景が一変する時がある。
しばらくぶりにその場所に行きあわした時、
あったはずの建物が跡形もなく無くなっていたら・・・。 
「えつ?!ここ・・・前は何だった??」
私の中で、その建物の記憶も無くなっている。

この街にも、最近いたるところに「何だった?」が増えてきている。
そのたびに、記憶って当てにならないものだと思ってしまう。
歳を重ねると、記憶力が衰えてゆく・・・

画像(湯浅町風景)

湯浅の町は、その中を熊野古道が通っている。
町のほぼ中心に「立石」と呼ばれてきた石碑がある。
その昔、熊野古道を行く旅人の道標だった。
「すぐ熊野道」「いせかうや右」「きみゐでら」
道標1画像「すぐ」とは近いといういみではなく「まっすぐ」という意味。
少年の目には何とも不思議なひらがな・漢字表記の「変な石」だった記憶がある。

道標2画像 そして、駄菓子屋「たていし」がその角にあった。
10円玉をにぎりしめ1個1円のアメを買いに行く。ビー玉、コマ、ベッタン、黒紫色の棒状のふ菓子、などなど
店は、たていしの「おばん」が切り盛りし、子ども達はいつも店にたむろした。
「はよ えらびな!」おばんは少し不機嫌な口調で辛気くさい子らをせかした。

もちろん機嫌のいい時もある。
今思えば、何とも言えずほのぼのとした日常がそこにあった。

たていしは、大きなお家だ。
たていしは、ものの本によると明治期は「青物〒物売捌所」とある。
もっと昔、「熊野詣で」の盛んな時代は何だったのか・・・  
店の土間の奥には,一段高い畳敷きの空間があって、そこにおばんのお母さんらしき「おばあさま」が黙ってチンと座していた。
暗い店の奥のそのまた奥はもっと暗く、そこに何があるのか・・・とても興味があった。
さらに、二階はどんなになっているのだろうと、想像の翼はどんどん大きく広がってゆくのだった。

金沢美大を卒業して、美術教師として帰って来た時も「たていし」は昔のままの佇まいで、「おばん」も変わらず店にいた。変わったといえば、ゲーム機が置かれたくらいで本当に
薄暗い空間は当時のまま変わらずあった。
私の子ども達も、「たていし」のお世話になった。
彼らもごたぶんに漏れず、おばんの「はよ決めな!」攻撃にあった。
あのまま・・・だった。
道標3画像

いつの頃からか、「たていし」は店を閉め、「おばん」の姿も見なくなった。
昨年暮れに、風のうわさで「たていし」が無くなるかもしれないと聞いた。
「ほんまか?!」
「それは、ちょっとアカンやろ!!」
何でも今は大阪の人が「たていし」の持ち主だとか・・・。

たていし画像

かつての少年達の思い出と記憶の「たていし」
あの建物が、ある日忽然と無くなる・・・・・?!
「いやいや、想像できひんな!それは」
「えつ!!ここ何やった???」ってなる??!!!
昨年来、この頁でも何度となく「無常」という事を考えてきた。
生滅・変化して定まりのないこと、この世の常。
ものごとは常に変化し続けそこにとどまらない。
形あるものはいつか壊れ、無くなる。
生あるものは全ていつか死を迎える。
熊野古道だって、アスファルトになり、かつてのおもかげは跡形もなく残されてはいないのだから・・・
「たていし」
どうにか残すことができないのかと、心の片隅に、チロチロと思いがつのる。

 

画像

 

 


2012年 辰年

おだやかに、静かに新しい年が明けました。

昨年は、公私ともに大変な一年でした。

3.11東日本大震災とそれに伴う原発事故。
9月には、台風12号による紀伊半島の水害・・・
日本以外でも、各地で起きた災害に、
自然現象の脅威を思い知らされました。
昨年、この頁でもたびたび書きましたが・・・

改めて、この星が宇宙空間に浮かんでいるということ
そして、生命が存在する奇跡の星であるということ

そして、そして、父をはじめ身近な人々の死に直面した事で、
思いめぐらした 星々の時間と人間の存在の時間の事・・・・・

この星も、この星に生きる全てのもの達と全ての自然は無常であることを・・・

今年が佳き年であります様祈りを込めて、毎年恒例の干支を制作しました。

本年も、よろしくおつき合い願います。

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2011年


野の香2010

今年も残り少なくなって来ました。

年末恒例、ラベルデザインをしていますワイン「野の香2010」が届きました。

京都・福知山三和町に住む、梅垣誠氏が育てた山ぶどう。

今回は、どんなワインに仕上がったのでしょうか。

「ミントのようなスパイシーな香り」

「奥深く、とてもなめらかな飲み口」と、今回のワインを氏は表現しています。

皆様も一度、いかがですか?

12月に入って間もなく、週1回講義に行く事になった短大のエントランスに、

赤い毛糸で作られた、大きなツリーがお目見えしていました。

短大に誘ってくださった、現代美術家 岡崎ゆみこ先生と学生たちの作品です。

学校からは、クリスマスカードをいただきました。

ぐんと冷えてきました。

野の香をグラスに、聖夜を過ごす・・・

*野の香は、ワインショップ高本さんで販売しています。

 ご注文・ご連絡先は・・・  綾部市・ワインショップ高本さん tel 0773-42-0579     

                  三和町・梅垣ぶどう園さん tel 0773-58-2615


皆既月食

デッサンの写真

息子から、「皆既月食を見ている」と電話が入った。

「よく見えている」という。

「こちらは雲が・・・」と答えた。

諦めていると、忘れものを取りに二階に上がった妻が、あわてて下りて来た。

「見えてるっ!」って!!

二人で急いでベランダへ

見上げると、地球の影に隠れた赤銅色の満月が、冬の星々の間に浮かんでいた。

私が目にしている星々の輝きは、気の遠くなるような時間を経て届いている光であるのに

対し、今くりひろげられている太陽と地球と月が織りなすこの事は只今の事。

あらためて、宇宙の不思議に思いを馳せている。

人の死によって、身体を構成していた元素は再び宇宙に帰り、新しい星の一部になる

という。

月の時間、星の時間、そして地球の時間を思う時、

人間の一生は・・・。

あぁ、それにしても寒かった。

娘から、フウの木の紅葉の写真が届いた。

フウの紅葉写真

美術館の前のお城のイチョウもみごとな黄色で思わず寄り道して・・・

自然の懐はとても深い。

何があっても季節はめぐる。

人間だけがドタバタ、フラフラしている。


ごぶさたです

9月以来の大変なご無沙汰をしてしまいました。

ご無沙汰している間、6月以来闘病していた父が、9月に亡くなりました。

3ヶ月間の入院生活でした。

それは、人間の存在やその時間、生きる事 死ぬ事を、父を通して私なりに改めて

考えさせられた時間でもありました。

付き添いで泊まったある晩、夜中の薄暗がりの病室で父の寝顔をスケッチしながら

祖父の顔に似ている事に気付き、まじまじとながめたことがありました。そして「この人は老人になった」としみじみと実感しました。

ほぼ毎日の病院通いと制作と家業の手伝いを続けるうち、私自身が、8月・突発性難聴を患い、制作も中断を余儀なくされ、ようやく9月になり父の病院通いを再開。妻と電車に揺られての見舞いの日々でした。

JRの駅で、一両編成の電車に乗り換えれば病院のすぐ近くまで行けます。

開けっ放しの窓、風に揺れるカーテン、線路は草に覆われ見えず、その中をゆっくりと走る・・・この空間はまるで異次元の空間。

ここにいると、父にはもうそんなに時が残されていないなどという思いを、ふっと忘れてしまいそうな程、なにも心配事などないような、平和でのどかな晩夏の昼下がりという感じでした。

亡くなった朝も、いつもと変わらず人々は動いていて、父の病室だけが寂としてその場にたたずんでいました。

山あり谷あり、人生最後はプラスマイナス ゼロ だと良しとするか ―

葬儀の後思った事でした。

死によって観えてくるその人のさまざまは、もう存在しないが故に、より明確にかつ客観的に

迫ってくるものだとわかりました。

正信偈を読経し、四十九日が過ぎてゆきました。

いろいろ、さまざま・・・心の中に封じ込め、

ようやく、自分の時間が少しもどって来ました。

いつもながらのワインラベルの制作で、少し楽しませてもらいました。

週に1度、短大で授業を持つ事に・・・。

ふと気付くと、我が家の杏とブルーベーリーの紅葉がとても美しい。

年末恒例の「干支—辰」の制作は、何とかギリギリ間に合ったかな。。。

「つきをえがく」 「もちづき」と名付けました。

久しぶりのアトリエ。

夏から中断していた作品の制作。

体調と相談しながらですが、夏の忘れもの・・・そう、この宿題から始めます。

時は流れつづけます。

彼の年まで、私はあと25年で追いつく事になります。



Clap で名月…

ファインダーが無いデジカメ― clap

こんな感じか・・・と撮れる絵をイメージして、思いついたらパチリ!

たまに、予想外の構図の時もあるけれど、これもまた一興。

極小デジカメclapくん。これは遊べます!

昨夜は中秋の名月。

もちろんclapで・・・。

アトリエで仕事を再開しました。

日めくりは、受診した8月8日のままで、台風12号で水汲みに入った以外は

本当にここで何もしていなかったということです。

ボチボチ、動きはじめますよ!

湯浅中学校の新校舎、校長先生のご案内で3階建ての学内を見学して来ました。

玄関を入ると、吹き抜けのエントランスがあり、とてもゆったりした気持ちになりました。

床は紀州材を使いやさしい感じが足元から伝わって来ます。

各教室は、窓が大きく開放感にあふれ、明るいのが何よりです。

ひとつ、旧校舎正面玄関にあった校章が、きれいに研かれて新校舎のエントランスに

残されていた事が、旧校舎で学んだ者としては嬉しいことでした。


MRI・Clap・Typhoon

MRI

先日の再検査の結果、落ちていた聴力は回復しつつあるとわかって一安心した。

自分でも、少し良くなっているのではと思っていたのだが・・・。

担当医のすすめで、頭部MRIを初めて経験した。

薄いシャワーキャップの様なものをかぶり、横たわる。

「かなり音がするので」と、ヘッドホンをつけられ、さらに頭を両側から固定された。

「もし、途中で気分が悪くなったりしたらこれを強く握ってください」と右手に卵形の

スイッチを握らせてくれた。

さらにさらに、「閉所、大丈夫ですか?」「大丈夫です」・・・

上から顔面を覆うようにキャッチャーマスクのようなものをかぶせられ、

そのままトンネルの中へ・・・

トンネルの上方にグレーのラインを見ながら、動き出した。

気がつくと、ヘッドホンからは「アヴェマリア」が聴こえていた。

なるほど、その音楽をかき消すように トントントン・ドンドンドンドン・ピー・ガー

さまざまな音が・・・その間も、グレーのラインを見続けた。

音とともにグラグラと揺さぶられもし、長いような短いような、

magnetic  resonance  imaging (磁気共鳴映像法)の不思議な時間でありました。

Clap

病院でのMRI検査が思いの外早く終わり、和歌山県立近代美術館に立ち寄った。

ミュージアムショップで、とてもかわいいデジカメに目がとまった。

掌にすっぽりとおさまってしまう大きさ。

カメラの形をしているのに、ファインダーがない!

なのに、写真ばかりか動画も撮れる。

さらに、USBメモリとしても使える。

和歌山県立近代美術館で、ちょっとした遊び道具をみつけてしまいました。

Typhoon

台風12号が四国縦断。

その脚のおそい事・・・降り続く雨のおかげで

またまたアトリエが水浸し。

9月2日の午後あたりから降り始め、3日は終日雨と風。

これだけ降られると、あきらめもつき

今回は、朝、昼、夕と時間をおいて汲み出した。

熊野本宮大社の旧社地、熊野川と音無川の合流地点、大斎原の大鳥居(高さ33m)が

5mも水没したという。那智大社の本殿にも土砂が流入したという。

台風はもちろん、雨や風を意のままにできる術を我々は誰ももってはいない。


「蒼穹の夢」除幕式

和歌山県 湯浅中学校新校舎完成記念モニュメント「蒼穹の夢」の除幕式がありました。

雨模様のお天気が続いていましたが、この日は快晴。

まさに「蒼穹の夢」にふさわしい夏の青空がもどってきました。

上山章善町長さんと、寄贈者の(株)中井組社長さんに除幕していただき、

制作者の私は、ひとことご挨拶させていただきました。

作品があらわれた瞬間、列席していた中学生代表の諸君から

「あ〜、ふくろうやったんや〜」と・・・

希望に満ちた新しい環境に建ったこの作品が、末永く中学生達に愛され

大空かける若者の夢の象徴となりますように。


サバをさばく

アトリエに入らない日々が続いています。

自画像を描いたり、読書をしたり・・・

遅まきながら、やっと「めまい」という症状がわかってきました。

相変わらず、聴力は回復していない感じです。

どうもメニエールの可能性の方が高そうです。

私にとって、アトリエに入らない方がもしやストレス?

「気分転換に、鯖でもさばく?」と妻。

さばき方をレクチャーしてもらってから今回で3回目。

「なかなか上手いやん!」のおだてに乗せられて合計6本。

鯖の「二枚おろし」やりました。


8月—寂

ドクターストップがかかってしまいました。

毎夏の制作が今年も進行中でしたが、7月中旬過ぎ、平衡感覚が少しおかしい事に気付き受診。その時はまだ大丈夫でしたが、8月に入り、左耳の聴力が低下。自分の声もどこか籠ったように響き、明らかにこれは異常。再受診しましたところ、右耳はもとより難聴で壊れているうえ、左耳の感音性難聴の突発性難聴の疑いと診断され、即、点滴と投薬治療が始まりました。点滴治療は一週間が回復の勝負だとか・・・。

 過度の過労とストレスが、この病の主原因との事。とにかく安静に!と指導されました。

なかなか回復しない状態が続いています。もちろん、回復を切望してはいるのですが、現在の自分のこの状態を観察している自分がいます。

 そんな折、パリに住む教え子から、「ポンピドゥーで ”BRANCUSI, FILM. PHOTOGRAPHIE” という企画展を見て来ました。」という便りとともに、展覧会のカタログが送られて来ました。手紙には、「アトリエでまるで土方のおっちゃんのように作品を創り出す映像に感動した」と書かれていました。

カタログの写真もとても良く、神々しくさえあります。ニューヨークで見た事を思い出しながら頁をくりました。

 制作の手を止められたこのタイミングで、私にとっては、何よりの癒しになる送りもので嬉しいことでした。

 送りものと言えば、夏の制作が始まった頃、これも絶妙なタイミングで毎日新聞の城島氏から、青木新門氏に「触覚の世界」とは何かを問うた時の記事と、その資料となった高村光太郎の『触覚の世界』という文章が送られて来ました。

 kanon—空の柱に続く今夏の作品で、削ぎ落とす事によって生まれる新たな形を求めようとしていたので、再度読み直した『触覚の世界』は、よき刺激となったのですが・・・。

 制作の出来ぬ8月が過ぎてゆきます。

 少し何もかもから離れて、己を見つめ直して休めとの事かとも思います。

 ふと気付くと明け方のひぐらしの声が、閑かに、はかなげに響きます。

 寂なる夏です。



「蒼穹の夢」設置

この最新情報「近況6月」「蒼穹の夢」でもご報告していましたが、先日、作品が完成し

設置作業を終えました。

新校舎の玄関前に設置されましたこの作品「蒼穹の夢」が、青きさわやかなおおぞらをかける若者の夢の象徴となりますように。

新年から東日本大震災をはさみ約半年の制作でした。

お披露目を前に、皆様に先にご報告です。


ビーバップ!ハイヒール

ビーバップ!ハイヒールというテレビ番組をご存知だろうか?

ハイヒールのお二人がMCの知的教養バラエティ(朝日放送・毎週木曜日の夜11時17分〜)、作家の筒井康隆氏や漫画家の江川達也氏とチュートリアル、ブラック・マヨネーズ、

たむらけんじなどが出演している番組で、私も割とよく見ている。

その番組担当I氏から、突然のメールが入りびっくり!

テーマは「銅像に秘められた物語」

日本全国にあるたくさんの銅像が、どうしてその場所に建てられたのか?

その裏には、知られざる物語が・・・。

という事で、私のアトリエで、渋谷駅前にある「ハチ公」の銅像にまつわる制作秘話の

再現VTRの撮影をしたいとの事。

担当I氏、私のこのホームページをチェックしたらしい。

残念ながら、アトリエの提供だけで、私の出演ではなかった。。。

現在私たちが知っている渋谷のハチ公像は、実は二代目。

初代ハチ公は、昭和9年、彫刻家 安藤 照氏のより制作され、その後、戦争中に金属供出で軍に差し出され渋谷の街から姿を消しました。

戦後、二代目ハチ公の制作にあたったのが、これまた二代目・・照氏の息子の、安藤 士氏。

こんな、あまり知られていない物語を再現VTRに・・・。

撮影当日は朝から猛暑の中、8時30分から撮影開始。

撮影スタッフさん5名 役者さん5名・内少年1名+犬1匹

皆さん、汗だくになりながらの熱演でした。

制作シーンがあると聞いていたので、どんな「ハチ公」を作って来るのかと楽しみにしていたのですが・・・。

紙粘土を使って、芯は何かと聞くと犬のぬいぐるみ・・・?!・・かなりの「迷作」!!

私が作ったのではありませんので、くれぐれもおまちがいなく!!

当初、1時間の予定とお聞きしていた撮影は、結局11時過ぎまで続きました。

テレビの撮影は私も何度か経験がありますが、今回は、「ドラマはこんなふうに作るんだ」と興味深く拝見しました。

放送は、8月25日(木)午後11時17分からです。

私のアトリエをご存知の方は、映像の中に見覚えのある「あれやこれや」を発見されるかも・・・。

ご笑覧いただければ、幸いです。



無花果

春の夕刻、新芽がきらきら輝く星のようだと書いた無花果は、枝をぐんぐん伸ばし、

小さな星の雫のような新芽は大きくとても立派な葉となり、こんもりとまるで小さな

森の様。

毎年、その小さな新芽を数枚いただいてシルバーのペンダントヘッドを制作する。

梅雨が明け、暑い日ざしの初夏の朝。

今年の一番なりの大きな無花果をいただいた。

これから秋まで、鳥との無花果争奪合戦がはじまる。

(無花果のペンダントのお問い合わせは・・・橋本和明・cast-y.1or8.ka@iris.eonet.ne.jp)




雨の日に、杏の実を収穫しました。

かれこれ5年・・・もっと経つかも・・ともかく初めての杏の実です。

わずか2個の杏をそのままいただきました。

もも びわ いやいや、何とも不思議な味でした。

来年はもっとたくさん実がつきますように。

蒼穹の夢

湯浅中学校新校舎完成記念作品「蒼穹の夢」

先日、石膏原型が完成し、鋳造にかかりはじめています。

限りない可能性を秘めた中学生達が夢を語らい学ぶ場の象徴として、

希望に満ちた新校舎の完成を記念して制作しました。

かかげた両手の先には梟。学問と叡智の象徴です。

どのような顔をして、中学生の前に現れるか楽しみです。

台石に彫るタイトルの「蒼穹の夢」を墨で書きました。

わずか7×30cmの小さな文字ですが、半紙3枚をつなぎ大筆で・・・

なかなか気に入った文字ができず結局2日がかりで仕上げました。

アトリエを掃除し、次の仕事の準備です。

夏本番が、すぐそこまで来ていますね。

近況 6月

アトリエ横の紫陽花の花が今年もきれいに咲きました。

自宅玄関には、数年前鉢植えした柏葉紫陽花があります。

今年はまたグンと大きく成長し、こちらも、みごとに花をつけました。

無花果も、葉を大きくしぐんぐん枝を伸ばし始めていますし、その下にはレモンバームが、まるで森のようにひろがりました。

今年は、杏が実をつけて、このごろ少し色づいて来ているのが楽しみです。

ユスラウメのキラキラした小さな赤い実を、毎朝いただいています。

植物の成長とそのめぐりは、季節の流れとともに、毎年の事ですが、生活のリズムをつくってくれます。

制作の合間に、草を刈り、今は紫陽花の花を生けてアトリエに置いてみたりして・・・。

緊張と緩和というやつです。

先日は早々と台風がやって来たりして、季節のめぐりは最近少し狂って来ているように感じます。雨だって、降る量が尋常じゃない・・・。

昔は、夕立はあってもゲリラ豪雨なんてなかったと思いませんか?

台風襲来の時は、半地下の我がアトリエは大変でした。

地下から水がついて来ます。

今まではポンプで汲み出していましたが、これが故障してからは、もっぱら手仕事で・・・。

バケツに汲み出しほかします。

あの日は、私は東京に。。。

妻とたまたま帰省していた娘が、1時間おきの汲み出し作業で大変な事になりました。

どうもアトリエの下には水の層があるようです。

昨日も夜中から大雨で、早朝、始発の電車から止り、京都の保育園の授業は急遽車で出勤とあいなりました。

参観授業で、親子で「器をつくろう」というテーマで楽しんでもらいました。

焼き上がりが楽しみです。







年明けから制作が続いている、湯浅中学校新校舎完成記念の作品の制作がいよいよ佳境に

入って来ました。

ここ数年来の「kanon」のフォルムを基に、希望に満ちた新校舎の空間を意識し、伸びやかなイメージと、静謐な落ち着きと・・・。動と静の相反するイメージですが、それぞれを併せ持ったイメージにしたいと考えて制作しています。

もうひと息です。

3.11.東日本大震災を跨いだ制作となったこの作品も、この「もうひと息」に込める思いのひとつは『祈り』です。

断たれた若いいのちがあります。

生きのびた若いいのちは、光を求めていると思います。

そして、ここ(湯浅中学)には、その事を共有できる同じ若いいのちがあります。

それぞれのいのちは、祈りをこめることで作品を通してひとつにつながれると良いと思います。その様な思いも、この作品には込めたいと思いました。

作品のタイトルは『蒼穹の夢』としました。

六月、水の季節。

「クラムボンは わらったよ」

「クラムボンは かぷかぷわらったよ」

「クラムボンは 跳てわらったよ」

「クラムボンは かぷかぷわらったよ」

宮沢賢治の童話「やまなし」・・・子ども達が幼い頃、よく読んで聞かせていたお話のひとつです。

クラムボン・・・この不思議な言葉は、私には、きらきらと明滅するちいさないのちの響きに聞こえます。

アトリエで、雨音を聞きながらの制作中・・・

何気なく懐かしく思い出した響きでした


猫亀屋 個展 — その後

泉南のギャラリー猫亀屋での個展が終わり、すぐに。和歌山県美術家協会展の搬入、展示作業〜開会・・・。二科会の会合で上京となかなかハードな5月後半でした。

猫亀屋さんへお越しいただきました皆様には、この場をお借りしてお礼申し上げます。

ご高覧誠にありがとうございました!

今回の個展は、kanonと、カノン制作の内に隠されていた「月」のイメージをかたちにし、展開してみました。

AMENIMOMAKEZU 浮月

ここの空間は、漆喰の白壁ととても高い天井と小さな二つの窓があり、とても小さな空間なのに、降り積もる様な、静かで豊かな時間が存在する感じがします。

作り手でもあるギャラリーオーナー今泉ご夫妻の思い入れの深さでしょうか・・・。

猫亀屋さんでは、今回が3年ぶり2度目の展覧となりましたが、3.11東日本大震災を挟んでの制作となった事もあり、私の心の動揺も作品に出てしまった様な感じもします。

動揺の中で制作したものが3点の「AMENIMOMAKEZU」。

東北と宮沢賢治を重ねあわせていました・・・。

会場で、和歌山県立近代美術館の学芸員氏が、石巻文化センターに文化財レスキューに行って来た話をしてくれました。

人命、生活再建が一番はいうまでもない事ですが、人知れず、貴重な人類の遺産を災害から救助し修復し後世に伝えるべく努力している人々がいます。

美味しい珈琲をいただきながら「ここのこのナ〜ンにもしない時間がいいね・・・」と学芸員氏。

彫刻家の私に出来る事は、静かに祈りを込めて制作する事。

猫亀屋さんの外のベンチに腰掛けて、海風とひなたぼっこを楽しみながら、制作者として先ずはこの事に誠実でありたいと思いました。

個展の合間に、すぐ横の海岸で拾って来ました。

個展会場に記したメッセージです。

3.11東日本大震災と巨大津波の映像は、

「言葉を無くしてしまう」とは、まさにこの事だと

心の中に刻みこまれた。

自然の力は、

ひとりの人間など

何程でもない『微塵』のようなものだとのみ込んでしまった。

人間表現だとか

人間の存在とか

・・・軽々に語り

   形になどできないと

私の今までの表現など、『微塵』のようなものだとのみ込まれてしまった。

言葉を無くしたこころは、宙をさまよい

制作への手がかりをつかもうと、両手はもがく。

自然の前に『微塵』であるかもしれない人間の存在は、

けれど、

そのささやかな『微塵』の内に、

大いなる宇宙を抱えている存在であると

私は信じたい。

それは、希望である。

それは、人間の生命への祈りである。

                2011.5.14.  橋本和明


橋本和明展 WORKSHOP — RING

5月21日、リング作りのワークショップをしました。

皆さん銀粘土は初めてという方ばかりでしたが、それぞれ

その方に合ったリングが出来上がりました。

明日、最終日です。


橋本和明展OPEN!

ギャラリー猫亀屋

5.14– 22.(18休廊)


大阪・岬町のギャラリー猫亀屋さんで個展が始まりました。

初日は、とても良い天気にめぐまれ、オープニングパーティーには、

たくさんの方々にお越しいただき、作品とともににぎやかに過ごしました。

泉南の海風と彫刻と美味しい珈琲と・・・

日常のほんの隣に・・・ここは、ささやかな異空間

ほっこりしに来てくださると嬉しいです。


橋本和明展

2011年5月14日(土)〜 22日(日)10:00 〜 17:00
  5月18日休廊

オープニングパーティー 14日(土)pm 4:00〜
ワークショップ 21日(土)pm 1: 30〜3:30(要予約)
ギャラリー猫亀屋 tel・fax 072-425-4883
mail:
nekogameya@yahoo.co.jp
* 南海本線「みさき公園」西口下車徒歩15分
http://www.eonet.ne.jp/~nekogameya


企画展として予定されていました展覧会ですが、3.11.東日本大震災という言葉を無くす出来事に精神的な動揺は隠しようもありません。

人間表現という地平線上で、祈りを込めた制作を、粛々と進める事が
私の仕事と改めて感じています。

彫刻作品(3点予定)と平面小品による展覧を予定しています。

そして、身につける彫刻・・・シルバーアクセサリーも・・・。

泉南の海がすぐ横の、とても小さなギャラリーです。

お天気の良い日には外のベンチで海風を楽しみながらしばし時を忘れていただける事と思っています。

ご高覧いただけますようよろしくお願い申し上げます。


第46回 関西二科展

毎春恒例の「関西二科展」が今年も京都市美術館で始まりました。

4月26日〜5月8日(5月2日/月曜日休館)

午前9時〜午後5時

京都市美術館

今回は、親鸞展の影響で会場は2階のみとなってしまいました。
ご高覧いただければ幸いです。

kanon — 音降る春に

岡崎公園のしだれ桜と八重桜がきれいに咲いていました。

京都国立近代美術館では「パウル・クレー展」も開催中です。

こちらは、5月15日まで。ちょっとおしゃれなパンフレットでした。

何故、作品を二つに割るような作りになっているか?

それは、展覧会をご覧になれば「納得!」していただけます。

新緑の季節、下鴨神社、糺の森界隈を散策しながら・・・


季節の中で

東北地方の桜が咲いたと少し前の新聞で読みました。

かの地の桜を人々はどんな気持で眺めているのでしょうか。

あれから、40日あまり・・・4月も後半に入りました。

4月26日から5月8日、『関西二科展』が京都市美術館で始まります。

冬に始めた作品の一つを出品します。

当然、3.11をまたいで制作したものです。

3.11以前と以後・・・

大震災の後は、気持の動揺がしばらくあり、制作もできませんでした。

『人間の存在』を制作のテーマとしてきたなかで、

大津波にまるで木の葉のように浪に翻弄される車や家の映像は、その中に多くの人々も

のみ込まれているという想像と相まって、恐怖とともに、人間の存在のはかなさを今更ながら思い知らされたという感じでした。

安土城築城の心柱に使われる飛騨の檜。その二千年超の年輪を写し取った木挽頭・庄之介の言葉。「木目を数えてみよ。いっとう太いのが二千五百八十三本、・・・」

「・・・。一寸百目のこの線で言えば、わしらの一生は、わずか五分(約15ミリ)じゃ」

(火天の城/山本兼一著より)

大宇宙・大自然を前に、人間の存在などたかが五分・・・。

されど、その存在には尊い魂が宿る凛とした存在でもある。

けれど、その凛とした存在であるはずの人間が、未来のクリーンエネルギーと言って研究開発を進めて来た『第3の火』原子力は、人間の力で制御しきれず未だ収束の目処さえたてられぬ状態が続いている。

『想定外』と言う。

けれど、今起きている事態を14年も前に恐ろしいほどの正確さで『想定』していた人が確かに居たと報道は暴いた。その碩学は、05年には衆院の公聴会でも警告を発したという。(毎日新聞・発信箱2011.3.29.)

その事を無視し、甚だ想像力に欠けた、同じ人間が確かに居た・・・。

同じ人間は、科学者として心の内ではその事を解っていたかもしれないと思う。

悲しいことだ。

巨大地震と巨大津波は天災。

けれど、原発事故は・・・人災。

この事に関する、ざわざわとした私の心のみだれは怒りをともない今もおさまりはしない。

人間の存在など、この地球上の自然の前では、わずか5分じゃ。

その地球はといえば、大宇宙の端っこの方に存在するのみ・・・

『一微塵にも宇宙あり』

されど、一微塵であるという謙虚さをけっして忘れてはならないと思う。

3.11以前と以後。

3月22日に「AMENIMOMAKEZU」と題したこのページのなかで、

『列島の形まで変えてしまった大地震、大津波は、根源的なところで、我々日本人の意識をも大きく変える事になるのではないかと私は思います。』と書きました。

今も、この思いに変わりはないけれど、我が身を振り返り『美術家に何かできるのか?』

『何か変わるのか?』という問いに、思いを馳せながら祈りつづけながら仕事をする事か・・・自問自答はつづく。

けれど、時が過ぎる程、起きた事があまりにも大きすぎて・・・わからない・・・。

葉桜の季節となり、裏庭の無花果が新芽を出し始めた。

夜になると星の明滅のようにきらきらと美しい。

毎年、これを見ると生命が輝いているように感動する。


版画の「アナ」 —ガリ版がつなぐ孔版画の歴史

和歌山県立近代美術館
 2011年3月19日(土)— 4月17日(日)

清水武次郎「曲」1963

今開催中の、版画の「アナ」を見て来ました。

ガリ版・・・ご存知でしょうか?

1958年生まれの私達世代前後は、学校のプリントは皆わら半紙にガリ版印刷でした。

正しくは『謄写版』。

薄い和紙にパラフィンロウをひいたロウ原紙をヤスリの上にのせ、鉄筆という道具で文字や絵を描き、ロウを除いてできた「アナ」からインクを通して印刷されるというしくみ。

ガリ版は、実家が印刷屋だった関係からか、小学校や中学・高校と職員室の隣にある小さな印刷室のインキのにおいやその雰囲気はなじみ深いものでした。学級通信の手伝いや、ちょっとした挿絵を描いた懐かしい物です。

清水武次郎「つぼなど」1972

今回ご案内する展覧会は、この「ガリ版」の技法を駆使し、独創的な作品を残した、和歌山出身の清水武次郎(1915年〜1993年)の仕事を中心に、謄写版からシルクスクリーンに至る孔版画の歴史をたどるという内容でした。

謄写版で、多色刷りの作品は一瞬木版かと錯覚しそうなものもあり、清水武次郎や福井良之介らが切り拓いた謄写版の表現の幅と深さに感動しました。

「一番大切なものを見失わないようにしたい。私の仕事に意義があると信じたい。— それだけでよい。」属していた日本版画協会を退会した時の清水武次郎の言葉です。以来、和歌山を中心に個展で問われる事になる清水の「一番大切なもの」・・・。

和歌山ゆかりの版画家といえば、田中恭吉・浜口陽三が思い浮かびますが、

ガリ版で、独自の世界を作り出した『清水武次郎』も忘れてはならない作家のひとりです。

版画の「アナ」・・・誰が考えたか、このタイトルがまたとても良いと思いませんか。

清水の「一番大切なもの」とは・・・。美術館でそれを感じ取ってみませんか?

お薦めの展覧会です。

私も制作者として、『一番大切なもの』を見失わないようにしようと思います。

シルバーアクセサリー 展示替えしました

「luce」

和歌山県立近代美術館・ミュージアムショップの橋本和明シルバーアクセサリーのコーナー。久々に展示替えをしました。

新作アクセサリーも加えリニューアルした作品達を展覧会ご鑑賞の後のリラックスタイムに是非覗いてみてください。



AMENIMOMAKEZU

作品題名:AMENIMOMAKEZU

突然、昨日までと全く違う状況に置かれ、理不尽にも全て無くしてしまう精神状態とはどんなものでしょうか。

3.11.『東日本大震災』による巨大津波は、人々を、家々を、街を、ひとたまりもなくのみ込んでしまいました。

一週間が過ぎてなお回復の目処も立たない福島原発。被災し避難所生活を余儀なくされている多くの人々。住む家を無くし、家族を亡くした人々。

命を落とした人々のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての人々が一日も早く元気を取り戻し、全ての街が復興する事を願わずにはいられません。

心が痛いです。涙が出ます。

被災地はあまりに遠く、祈るより他ないという無力感があります。

今の自分に出来る事と言えば、心ばかりの義援金で連帯する事。

私が住む和歌山県湯浅町は、紀伊水道に面した海沿いの小さな町です。町中の深專寺山門前に嘉永7年(1854年)11月4日の南海大地震による大津波の碑「大地震津なミ心え之記碑」が建っています。

南西の海から海鳴りが三、四度聞こえたかと思うと、見ている間に海面が山のように盛り上がり「津波」というまもなく、高波が打ち上げ・・・大木、大石を巻き上げ、家・蔵・船などを粉々に砕いた。その高波が押し寄せる勢いは「恐ろしい」などという言葉では、とても言い表せないものであった。(碑文現代語訳による)

先日、この碑の事を思い出し、改めてじっくりと読み返して来ました。

今回の大津波は、将来起こるであろう「南海沖地震」による津波の怖さをまざまざと教えてくれました。

今、こうして何事もなく制作できる事の有り難さをつくづく実感しています。

3.11.・・・以前と以後。

列島の形まで変えてしまった大地震、大津波は、根源的なところで、我々日本人の意識をも大きく変える事になるのではないかと私は思います。

春分の日。

暑さ寒さも彼岸まで。

これから、列島は春に向かう。

この季節の流れは、せめてもの「希望」。

関東大震災の日の夜、命からがら上野の山に避難し夜明かしをする人々の中で一人の少年がポケットからハーモニカを出して吹いた。

詩人の西条八十の回想に『初めは黙って化石のように聞いていた人々は曲がほがらかになると「私語(ささやき)の声が起こった。緊張が和んだように、ある者は欠伸をし、手足を伸ばし、ある者は身体の塵を払ったり、歩き回ったりした」荒冬の野に吹いた春風だったと詩人は回想する。』(毎日新聞3/17余録より抜粋)

春という希望の足音は、もうすぐかの地にも確実に届く。

春風にのせて『連帯』の希望を繋いでゆかねばならない。


啓蟄

一月は往ぬ。

二月は逃げる。

三月は・・・。

年が明けて本当にあっという間に三月になってしまいました。

きょうは二十四気のひとつ「啓蟄」という。

眠りから覚めた地中の虫達がもそもそと蠢き出す季節。

そうは言っても、この間の3月3日桃の節句は寒の戻りで

夕刻早々たまらず仕事を切り上げ厳寒のアトリエから退散して来ました。

年明けから、教え子が一家でパリに住むことになりました。

先月2月、彼らを訪ねて教え子の友人親子と我が娘・息子が連れ立って

パリに遊んで来ました。

手土産に持たせた、私の小さな作品(コラージュ)のお返しか、パリ土産の一つに

香水のような洒落た瓶に入った黄金色の「オリーブオイル」がありました。

先日はじめて生野菜とパンに、香水よろしくプシュプシュ・・・。

なかなか乙な味わいで、早春の光にきらりと小さなパリを運んでくれました。

お水取りがすむまでは、三寒四温・・・。

「春よ来い、早く来い」だが、弥生三月 三月は去る。

うかうかしていると季節はするりと変わります。


気配

猫の額ほどの庭のこれまた小さな梅の木に、今年も白い小さな花がほころび始めた。

日本海側の街は、白一色の銀世界でも、その雪の中では刻々と来たる春のための準備が

なされているはずだ。季節はめぐっている。

我が家のアトリエもまだまだ真冬なのだけれど、うつろう微かな気配を感じ取る。

手を動かす速さや、足の運び、制作する自分の動作の微妙なちがいにふと気付いたりする。

我々人間は、この気配を感じる事に最近かなり鈍感になってしまっているように思う。



冬のアトリエ

今年の冬は、日本海側の大雪の情報が毎日のように聞こえて来ます。

雪の便りを聞くにつけ、学生時代を過ごした金沢の冬を思い出します。

金沢時代の6年の間に、2回の豪雪を経験しましたので、大雪の大変さはよくわかっているつもりです。

 鉛色をした重い空、欅の黒いシルエットと対象的な犀川河川敷に積もった白い雪。遠くに見える白山。金沢の冬の寒々とした景色なのに、この光景がとても好きでした。

犀川近くのあばら屋の前の雪をどけて、寒空の下でテラコッタの窯炊きをしていました。

金沢の冬は、静かにものを考えるのに良い季節でもありました。

雪が降り積もった空間は普段見えていたものを白く隠してしまい、余分なものが目に入らなくなることで、何かしら精神的にも落ち着くように感じたものでした。そう、形だけではなく音さえも削ぎ落とされ、寂として凛としている。雪に覆われることで、そこに居る自分自身の孤独感とともに静かに落ち着いてものを考える空間が出来るのかも知れません。

湯浅の冬は、雪が降らない分寒さはましでも、あっけらかんとして隠されるものが無い空間は、同じようにものを考える時でも、その様がかなり異なる感じがします。

 そんな事を考えながら、今年の制作も春の展覧会等に向けてそろりと静かに動き出しています。

素描とともに、独自に作った色紙を使ってのコラージュは、彫刻制作のためにイメージを熟成させる一つの取っ掛かりとなります。以前から、大小試みている事ですが、今年は少し目標を定めて制作しようと思っています。

もうすぐ節分。

冬とはいえ、アトリエに射す陽は少しずつ長くなって来ていて、自然光のみで仕事ができる時間もそれにつれて徐々に長くなって来ました。

ストーブに乗っけて焼く焼き芋がまた美味で、制作の後、心も身体もほっこりする楽しみのひとつです。


表干支・裏干支

卯歳にちなみ、京都は東天王 岡崎神社にお参りして来ました。

地下鉄東西線「蹴上げ駅」で下車、南禅寺の境内を通り抜け永観堂前の道を白川通に向かって歩きます。白川通を北に・・・蹴上げから約20分のところにありました。

<平安遷都の際、王城鎮護のため平安京の四方に建立された社の一つで、都の東に鎮座することから東天王。方除け・厄除けの神様と同時に、当時、都の卯(東)の方位にある付近一帯が野兎の生息地で、うさぎが氏神様の神使いとされる。境内の御手水の所には月の力を満たしたうさぎ像がある。そして、本殿前には狛犬ならぬ「狛うさぎ」がある。うさぎが多産であることから、子授け安産祈願の方を始め参拝者の人気を集めている。(創建由緒より)>

私がお参りした日も沢山の参拝客で賑わっていましたが、やはり子授け安産祈願のご利益を求め女性の姿が多かったです。

阿吽の狛うさぎ様は、目が赤くフォルムもかわいらしく良かったですよ。

また、御手水の所の月の力を満たしたうさぎ様は黒御影石でつくられており、ひかっていました。この間この頁でご紹介しましたうさぎさん、今年の開運招福の願いを込めて制作しました「つきをもつ」も、望月を持ったうさぎさんのイメージでした。うさぎに月はつきものですが、黒い月うさぎ様にはちょっとびっくりでした。

さて、「卯」にまつわるこぼれ話です。

泉鏡花は、自分の干支の裏干支のものを集めると縁起が好いということを母親より教わり、酉年の鏡花は酉の真向かいである卯のものを集めたそうです。

私の干支は十二支の第十一番目の「戌」。裏干支は「辰」になります。

表の干支に対して、影のように・・・表を支える・守る裏干支と考えると、また、興味深いものがあります。

さて、あなたの裏干支は?



新年あけましておめでとうございます。

2011年が明けました。

皆様はどのようなお正月を過ごされましたか。

昨年は、6月に京都で久しぶりの個展、7月は「いぬいの会」初展覧会を大阪で、酷暑の夏の二科制作・「kanon - 空の柱」(東京 国立新美術館)と続き、WBS和歌山放送で初めてのラジオ出演・・・

11月は「Execution Scene - ささやかな30の時間」と題して初のアトリエ公開展を開催しました。

考えてみれば、時の過ぎ行く事の早い事・・・。

制作とそれぞれの展覧会を通して、新たな出逢いがありましたし懐かしい再会もありました。

そして、それぞれの出逢いが私の制作に向かう力となっています。

本当に感謝・感謝です。

さて、今年はどのような一年になるのでしょうか。

毎年恒例の「干支の制作」は『卯』

兎の穏やかな様子から家内安全。跳躍する姿から飛躍の年とされているようです。

そこで、今年の『卯』は「つきにはねる」と「つきをもつ」と名付け制作しました。

皆々様にとり、幸多き一年でありますようにお祈りしましょう。

そして、本年もおつき合いの程よろしくお願い申し上げます。

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