松本城天守
所在地 | 長野県松本市丸の内 | 種別 | 城郭 |
構造形式 | 天守(一棟) 五重六階、本瓦葺 | ||
時代区分 | 江戸前期 | 年代 | 元和初年(1615)頃 |
構造形式 | 乾子天守(一棟) 三重四階、本瓦葺 | ||
時代区分 | 桃山 | 年代 | 文禄元年(1688) |
構造形式 | 渡櫓(一棟) 二重二階、本瓦葺 | ||
時代区分 | 江戸前期 | 年代 | 元和初年(1615)頃 |
構造形式 | 辰巳附櫓(一棟) 二重二階、本瓦葺 | ||
時代区分 | 江戸前期 | 年代 | 寛永年間(1624-1644) |
構造形式 | 月見櫓(一棟) 一重、地下一階付き、本瓦葺 | ||
時代区分 | 江戸前期 | 年代 | 寛永年間(1624-1644) |
指定年月日 | 1958.10.29 | 所有者 | 松本市 |
![]() |
右から、大天守、渡櫓、乾小天守 辰巳付櫓と月見櫓は大天守の奥にあり、写真に写っていない。 乾小天守が最初の天守として文禄2年に完成。五重大天守が元和元年頃に増築される。そして寛永10〜15年に辰巳附櫓と月見櫓が増築され、現在の姿になる。 漆黒の下見板張と白漆喰塗籠のコントラストの大壁が映える。 |
石川数正・康長父子が城主の文禄年間(1592-96)に、乾子天守が望楼型の三重天守として創建され、小笠原秀政・忠真父子が城主の元和元年(1615)頃に、五重の大天守を層塔型で建築し、このとき乾子天守も層塔型に改変して、大天守に連結されたと考えられている。 |
![]() |
奥・大天守 手前・渡櫓 大天守の北側に渡櫓で乾小天守連結式で接続し、大天守の東側に辰巳附櫓と月見櫓を複合式で接続している。従って連結式と複合式を兼ね備えた天守といえる。 |