興福寺東金堂

所在地 奈良市登大路町 種別 寺院(法相宗)
構造形式 桁行七間、梁間四間、一重、寄棟造、本瓦葺
時代区分 室町中期 年代 応永22年(1415)
指定年月日 1952.03.29 所有者 興福寺
興福寺については、五重塔の頁を参照。
興福寺にはかつて三つの金堂があり、東金堂は東に位置し、西面して建つ。室町時代までは、東院仏殿院と呼ばれ、五重塔とともに廻廊に囲まれて、東金堂院を形成していた。
東金堂は、神亀3年(726)に、聖武天皇によって、伯母の元正大上天皇の病気平癒を願って創建された。創建以来、落雷や兵火で6度失われ、現存する建物は応永22年(1415)に再建されたもの。
堂内の須弥檀には、薬師如来坐像(重文)、日光・月光菩薩立像(重文)、文殊菩薩坐像(国宝)、維摩居士坐像(国宝)、十二神将立像(国宝)、四天王立像(国宝)が安置されている。


東金堂は7度目(6度目ともいう)の再建であるが、奈良時代創建時の様式をよく残しているといわれる。

奈良時代の遺構の唐招提寺金堂と同様に、正面の柱の間隔が中央より両側にいくに従って狭くなっている。


寄棟造照り屋根の曲線が優雅。

梁間四間の側面及び背面は壁とするが、正面は奥行き一間が吹き放ちになっている。。
三手先組斗供と、組入天井と、支輪で軒に深みをもたせている。三手先組と間斗束の組み合わせにみられるように、和様の様式が守られている。

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