興福寺三重塔

所在地 奈良市登大路町 種別 寺院(法相宗)
構造形式 三間三重塔婆、本瓦葺
時代区分 鎌倉前期 年代 鎌倉前期
指定年月日 1952.03.29 所有者 興福寺
興福寺については、五重塔の頁を参照。
三重塔は、北円堂と同じく、興福寺で最も古い建造物の一つ。康治2年(1143)に、崇徳天皇の中宮、・皇嘉門院聖子の発願で創建されたが、治承4年(1180)の平氏による焼き討ちで焼失。現在の建物が再建された時期は不明であるが、遅くとも鎌倉時代の初めと考えられている。
初重内陣には、東に薬師如来、南に釈迦如来、西に阿弥陀如来、北に弥勒如来の各千体が描かれている。また東面に窪弁財天と十五童子像が安置されている。



二重目、三重目に比して、初重が高く、また初重の柱間の間隔も大きくとられているので、重心が下にあり、安定感がある。

鎌倉期の再建であるが、平安時代の和様がそのまま受け継がれた、一品の三重塔。


総高18.9m。


一重目の軒下の備え 二重目の軒下の備え
初重の柱の上の組物一手先組であるが、二重目は三手先組になっている。これは、上記のように初重に比べて二重目や三重目の柱間が狭く、柱からの軒の出が深くなっているためであると、考えられる。


相輪

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