要害山城

 所 在 地   山梨県甲府市上積翠寺町  別 名   積翠山城
 遺 構   曲輪、土塁、堀切、石垣  形 式   山城(標高770m、比高230m)
 築 城 者   武田信虎  築 城 年   永正17年(1520)
 歴 史  武田信虎は永正16年(1519)に、本拠を石和より移して躑躅ケ崎館を築城し、その詰の城として、翌永正17年(1520)に、躑躅ケ崎館の北方の要害山に要害山城を築いた。
大永元年(1521)に今川勢が甲斐に侵攻したときには、信虎夫人が要害山城に避難して、城内で信玄を生んだと伝えられる。
武田信虎、信玄、勝頼と三代にわたって使用されたが、武田氏滅亡後は、加藤光泰が入って改修している。
甲府城の築城により、要害山城は不要となり、廃城となった。
歴 代 城 主 武田氏3代、徳川氏、加藤氏


主郭の大手虎口              主郭
東西73m、南北22mの長方形。周囲を土塁で囲む。「武田信玄誕生の地」の石碑が建つ。


門跡 石垣が残る 切岸ともなる土塁


城は山頂の主郭を中心として、東西500mにわたる。主郭に至るまで、いくつもの虎口を通り、また切岸、土塁、竪堀がみられ、虎口には石垣も残っている。ハイキングコースとして整備された山道により安全に城域に到達することができるが、遺構は大きな破壊もなく良好に残っている。


主郭の西側の堀切。石垣が用いられているのは珍しい。 現地案内板の復元推定図


<アクセス>
甲府駅前から武田神社(躑躅ケ崎館)に突き当たる道を左折して、武田神社の横を通り抜けると、あとは道なりに山のほうへと向かう。武田神社から4kmほどで要害温泉に到達する。「積翠寺温泉要害」の敷地横に案内板があり、要害山城へと続くハイキングコースの入り口になっている。主郭まで30〜40分かかる。車は温泉の付近に止める。(2009.06.05)

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