富山城

 所 在 地   富山県富山市本丸  別 名   安住城、浮城
 遺 構   堀、石垣摸擬天守摸擬櫓  形 式   平城
 築 城 者   水越重勝(天文年間:1540頃) 佐々成政(天正9年:1581) 前田利次(寛文元年:1661) 
 歴 史  富山城の前身となる安住の館は、神保氏の将の水越重勝によって天文年間に築城されたと伝えられる。
織田信長は北陸を経営するにあたって、天正7年(1579)に佐々成政を越中に封じて支配させた。天正9年(1581)、佐々成政は安住の館に入城し、大改修して富山城として築城した。
天正13年(1585)、佐々成政は豊臣秀吉と対立し、秀吉に攻められて落城する。
天正15年(1587)、越中は加賀の前田利家の領地となる。
慶長2年(1597)、加賀二代藩主・前田利長が入城し、隠居城として改修する。
寛永16年(1639)、加賀三代藩主前田利常が隠居するに際し、次男利次に富山藩を立藩させる。
寛文元年(1661)、前田利次が富山城を修築して、完成させる。
正徳4年(1714)に本丸が全焼し、また天保2年(1831)に東出丸などが焼失した。
嘉永2年(1849)、東出丸に藩主居館千歳御殿が完成する。 
歴 代 城 主 水野氏、佐々氏、前田氏(10万石)

模擬天守と摸擬櫓

摸擬天守が建つ本丸南虎口には、枡形内に巨石が用いられている

本丸の北側の堀


縄張りは、本丸から西出丸、東出丸、二の丸を突き出し、三の曲輪で囲む。曲輪間の水堀は広く、それぞれ一箇所の土橋で繋がるだけであり、各曲輪の独立性が高い。
現在、本丸は城址公園となっており、石垣と水堀が残る。摸擬天守と摸擬櫓が建てられている。

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