山崎山城

 所 在 地  滋賀県彦根市稲里町・清崎町・賀田山町  別 名   ―
 遺 構  石垣、曲輪、土塁、竪堀  形 式  山城(147m)
 築 城 者  山崎片家  築 城 年  天正年間(1573-1582)
 歴  史  山崎氏は、六角氏の庶流とされ、山崎山周辺の地を支配した土豪。天文7年(1538)に六角氏の坂田郡出陣に従軍したことの記録がある。
後に、浅井氏に付いたようであり、永禄11年(1568)の織田信長の近江侵攻のあとは、信長に従っている。「信長公記」の巻14と巻15に、左義長に参加させる江州衆の一人として、山崎片家の名が見える。
山崎片家は、本能寺の変のあと、明智光秀に味方するが、ほどなく羽柴秀吉に仕える。以後、小牧や小田原の戦に従軍し、後に摂津三田に移封されている。
歴 代 城 主 山崎氏




現在、市史跡となり、公園として整備されている。
山頂の城域(左)は、東西90m、南北20mと小規模であるが、山頂尾根の稜線上に3つの曲輪を連郭式に設けた山城。周囲を石垣で囲んだ本格的な石垣の城である。
山崎山(下)は標高147mであるが、比高は60mであるので、山城の範疇に入るかどうか。タンクの左側が城址。


山頂の西側寄りに残る枡形 枡形の外側に設けられた竪堀

日本の城目次へ戻る
前の頁に戻る                次の頁に進む