肥田城

 所 在 地   滋賀県彦根市肥田町  別 名    ―
 遺 構   土塁、堀  形 式   平城
 築 城 者   高野瀬隆重  築 城 年   大永年間(1521-1528)
 歴  史  肥田城は、六角氏の在郷被官・高野瀬隆重が、大永年間(1521-1528)に築城したのに始まる。
永禄2年(1559)、高野瀬秀頼の代に、浅井方に付いたため、六角義賢に攻められる。城の周囲五十八町に堤を築き、宇曾川や愛知川の水を引き込んで、水攻めにした「肥田城の水攻め」として有名らしい。洪水で堤が切れて、水攻めは失敗に終わる。
永禄3年(1560)、再び、六角氏が攻めようとするが、浅井氏が野良田の戦いで破る。
高野瀬秀頼は、織田信長による浅井攻めに際しては、織田方に調略されたようであり、浅井氏滅亡後は織田方に従っている。そして柴田勝家の配下に組入れられるが、越前での一揆に敗れて、天正2年(1574)に自害する。
天正2年(1574)、肥田城に、蜂屋頼隆が城主として入る。
天正11年(1583)、蜂屋頼隆は敦賀城主として国替えになり、肥田城に、長谷川秀一が入る。
文禄2年(1592)、長谷川秀一は、文禄の役で朝鮮において病死し、城は廃城になる。
歴 代 城 主 高野瀬氏、蜂屋頼隆、長谷川秀一


高野瀬氏のあと、蜂屋頼隆や長谷川秀一という、織豊政権の名のある大名が入っているので、天守を持った近世城郭に整備されていた可能性が高いといわれている。
しかし、城址は田園と化しており、土塁と堀の痕跡が一部に残っているに過ぎない。

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