勝楽寺城

所 在 地 滋賀県犬上郡甲良町正楽時町-多賀町楢崎 別  名  −
遺  構 曲輪 石垣 土塁 竪堀 形  式 山城(標高315m)
築 城 者 高築豊後守 築 城 年 応安元年(1368)
歴  史 勝楽寺城は、高築豊後守により、応安元年(1368)に築城されたとされる。
高築豊後守家は京極氏の家臣であり、勝楽寺城は京極高氏(道誉)の館と領地を守るために築かれたとされている。
しかし、高築氏自体が実在であるかどうかも含めて、城の詳しい歴史はわかっていない。
歴代城主 高築豊後守


最高所にあるVの曲輪の周囲には石垣が廻っている。Vの曲輪の南側下の石垣。


勝楽寺城は、京極道誉の菩提寺である勝楽寺の裏山ともいうべき、鈴鹿山系の先端の丘陵の尾根上に築かれている。
曲輪の配置は、尾根に沿って削平地を北から南へと、約500mの範囲で一本に連ねただけのものであり、Tの曲輪から[の曲輪まで、8つの曲輪からなる。
Xの曲輪とYの曲輪の間に畝状竪堀があるとされるが、自然地形との見間違えと指摘する研究者もいる。


Vの曲輪
石垣のあるこの曲輪が主郭に相当するようだ
Uの曲輪 「見張り台」と呼ばれる


最も広く削平されたXの曲輪 Zの曲輪(「上臈落とし」と呼ばれる)から、東側(琵琶湖側)の眺望


<アクセス>
国道307号線の甲良町大字池寺の、近泉合成繊維滋賀工場の北側の交差点を東に折れ、名神高速の下を潜ると、大きな観光案内図がある。その前を右折して集落内へ入り、南東方向へ真っ直ぐ500m程進むと、集落の最も奥にあるのが、勝楽寺。寺の前に城跡へのハイキングコースの案内図がある。堰堤の手前から山道に入って、ハイキングコースに沿って行けば、迷うことなく20分ほどで、Xの曲輪とYの曲輪の間の尾根上に出る。登山路の入り口に害獣除けのフェンスがあるが、扉をあけて通行することに遠慮はいらない。通ったあと扉にチェーンを懸け忘れないようご注意。勝楽寺の前、あるいは境内に車を置くことができる。(2011.03.27)

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