若桜鬼ケ城

所  在  地  鳥取県八頭郡若桜町若桜 別  名  
遺  構  曲輪 石垣 形  式  山城(標高445m)
築  城  者  矢部氏 築  城  年  南北朝時代
歴 史 若桜鬼ケ城は、矢部氏によって南北朝期に築城されたのが始まりと伝わる。
天正3年(1575)、尼子氏の旧臣の山中鹿之助が城を奪って入るが、翌年には、毛利氏に攻められて退去し、毛利氏の支配の城になる。
その後、織田軍の因幡攻めのときには織田方の拠点となり、天正9年(1581)に羽柴秀吉が因幡を平定した後、秀吉の武将の木下重賢が城主として入城した。
慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いで木下氏は改易となり、摂津三田から山崎家治が入城した。
元和3年(1617)、山崎氏は備中成羽に転封となる。同年、池田光政が因幡・伯耆を領する鳥取城主となり、若桜鬼ケ城は一国一城令により廃城となる。
歴代城主 矢部氏 山中氏 毛利氏 木下氏 山崎氏 池田氏 


本丸


標高452mの鶴尾山の山頂部に位置する主郭部と、北の尾根に位置する古城部とからなる。

主郭部は天守・本丸・二の丸・三の丸、ホウヅキ段、六角石垣、馬場から構成されている。
主郭部は総石垣であり、山崎氏のときに築かれたという。
破城により石垣は崩れているが、見応えは十分である。


ホウヅキ段の石垣 二の丸


本丸の南側の石垣 天守台


<アクセス>
国道29号線から若桜町の市街地に入り、若桜鉄道若桜駅前から北へ50〜100mの交差点に若桜鬼ケ城への案内標識がある。ここを西へと折れて、あとは案内標識に従って進み、林道に入る。林道その終点に城の案内板があり、その前に駐車場がある。城跡は駐車場から歩いてすぐ。(2010.11.04)

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