和田山城
所 在 地 | 滋賀県東近江市五個荘和田町 | 別 名 | ― |
遺 構 | 曲輪、土塁、空堀 | 形 式 | 山城(180.1m) |
築 城 者 | 和田氏 | 築 城 年 | 室町時代 |
歴 史 | 和田山城は、佐々木六角氏の一族、和田氏の居城。和田氏は、佐々木六角政頼の三男・和田和泉守高成が祖とされる。 和田山城の築城の年代は不明であるが、六角政頼の子の和田高成が築城したとすれば、15世紀中ごろか。 永禄11年(1568)の織田信長の足利義昭を奉じた上洛時の近江侵攻の際には、和田山城は、和田氏の居城というだけでなく、六角氏の観音寺城防衛の最前線となり、六角氏の被官が籠城して戦う。「佐久間軍記」によると、和田山城は美濃三人衆(稲葉一鉄、安藤守就、氏家卜全)に攻められ、落城する。以後、廃城になったようだ。 |
歴 代 城 主 | 和田氏 |
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北面の土塁 高さは約3mほどある | 左の写真の北面の土塁の上 広い面積で整地されており、櫓台であったとされる。三等三角点のある山頂でもある。 |
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主郭内 | 主郭内を仕切る土塁と空堀 |
和田山は、観音寺城がある繖山の北東にある独立小丘陵。和田山城はこの山頂(標高180m、比高80m)にある。 南北50m、東西25m程度の比較的小規模な城郭であり、麓の館に対する詰の城と考えられている。周囲を土塁で囲んだ単郭式であるが、曲輪内は土塁や空堀で食い違い状に区切られており、曲輪内の南端を馬出しとしていたように見える。北面の土塁は高く、また12m四方と広いので、櫓台であったとみられている。 |
<アクセス> 東近江市五個荘和田町の集落の北端にある和田神社から山に入る。和田神社の石段を上ると、右手に道があり、その先の観音堂の前に「和田山城跡」の碑がある。この碑の右側の、木で土留めをした階段を登る。5分程度登って、木の階段が終わると、直ちに右へ道を折れる。その先が城域である。木の階段が終わったあと、そのまま進むと通り過ぎてしまうのでご用心。和田の集落内に駐車スペースはないので、集落外に車を置く算段をする必要あり。(2009.03.15) |