佐生城

 所 在 地   滋賀県東近江市佐生町・五個荘日吉町  別 名 
 遺 構   曲輪、土塁、空堀  形 式   山城(1581m)
 築 城 者   後藤氏  築 城 年 
 歴 史  佐生(さそう)城の城主は、佐々木六角氏の重臣で、東近江市羽田に居館を構えていた後藤氏。城跡に「後藤但馬守城址」の石碑が、子孫と目される人物により建立されている。後藤氏は、六角義賢(承禎)から家督を継いだ義治が、観音寺城内で後藤賢豊を謀殺したことにはじまる、観音寺騒動でも知られる。
佐生城は、後藤氏の居館から10km以上も離れているので、詰の城とは言い難く、後藤氏が城主というよりも、守備大将として城を預かっていたと考えられる。
永禄11年(1568)の織田信長の足利義昭を奉じて上洛する際の、近江侵攻により、滅亡した。
歴 代 城 主 後藤氏


主郭の南面(右)の西の隅の石垣。立派な算木積になっている。右側奥10mほどで屈曲しており、横矢が掛かるようになっている。


佐生城は、六角氏の居城の観音寺城がある繖山から北側へ張り出した峰続きの佐生山の山頂にある。和田山城とともに、観音寺城の北面を防衛する支城の一つである。
小規模な城郭であり、東西約60m、南北約40mの三角形をした主郭の単郭構造である。しかし、主郭の南面の全長に亘って高さ2m〜4mの石垣が50m余り続いて築かれている。北面にも東寄りに5mほど、西よりに10mほどの幅で石垣があり、おそらくその間の石垣は崩れて土に埋まっていると想像されるので、北面においても全長に亘って石垣があったものと思われる。とすると、主郭の全周が石垣で囲まれていた可能性もある。石垣だけでも必見の城である。


主郭南面の東端の石垣 南面の石垣。50mに亘って続いている。


主郭内 主郭内に建つ「後藤但馬守城址」の石碑。裏には「元陸軍大佐 後藤貞雄」の銘。


北面の、西側の石垣 北面の、東側の石垣


<アクセス>
国道8号線の綾瀬の信号を北西に曲がり、約3km先の酒店の前の三叉路を南に曲がる。曲がって直ぐ、川を越えた右手上方に墓地が見える。この佐生墓地が城への入り口になる。「佐生日吉城跡」の標識が立っている山道へと入り、気持ちのよい山道を歩いて、10分足らずで、突然、石垣に遭遇する。佐生墓地と道を挟んだ向かいの空き地に駐車可能。(2009.03.15)

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