打下城

 所 在 地   滋賀県高島市勝野町  別 名   大溝古城
 遺 構   曲輪、土塁、石垣、堀切、竪堀、土橋  形 式   山城(379m)
 築 城 者   高島氏または林氏  築 城 年   永正2年または永禄年間
 歴  史  打下(うちおろし)城は、永正2年(1505)に高島玄蕃丞が築城したとも、永禄年間(1558-1569)に林與次左衛門員清が築いたともいわれる。
「信長公記」の巻五(元亀3年-1572-)に、小谷城攻めの際に、打下の林與次左衛門などが琵琶湖に兵船を浮かべたこと、同巻六(元亀4年-1573-)に、田中城を攻める際に、信長公が林與次左衛門方に陣を取ったこと、の記載がある。従ってこの頃には、打下城の林氏は織田信長に従うようになっていたようだ。
しかし「信長公記」の巻八(天正3年-1575-)に、高島打下の林與次左衛門は、志賀の陣での懈怠を咎められて、信長より生害を命じられたとの記事がある。天正7年(1579)に麓の平野部に織田信澄によって大溝城が築城されているので、それまでに打下城は廃城になったようだ。
歴 代 城 主 高島氏、林氏


中 主 郭
中主郭は、30m×25mの規模であり、四方の土塁の状態も良好。この中主郭に達する前に、堀切がある。 中主郭の西北角に虎口があり、その北側に石垣がみられる。


                           北 主 郭
中主郭から北方へ尾根を下っていくと、幾つかの郭が連なっている。下りすぎたのではないかと不安になる頃に、北主郭に達することができる。
北主郭の虎口。北主郭は50m×30mの大きさがあり、中主郭よりも広い。 周囲の土塁は、中主郭よりも高く、良好に残っている。北西面に畝状竪堀があるらしい。


打下城は、東に琵琶湖を、北に高島平野を見下ろす通称「城山」に築かれている。城域は、南側の中主郭と、北側の北主郭の北二つの主郭からなり、中主郭の南側にも小さな南郭がある。曲輪や土塁の保存状態は良好である。


中主郭に建つ案内板の縄張図



東西270m、南北300mの城域を有する、大規模な中世山城である。


南郭については未確認


<アクセス>
JR近江高島駅の西2〜300mに日吉神社がある。この日吉神社の左手から山に入る。神社の階段脇の坂道の前を横切ると、小さな案内標識があり、すぐに山道になる。小さい案内板が要所にあり、これを見過ごさなければ迷うことなく城跡に達することができる。しかし、ハードな山道であり、山歩きの覚悟が必要。30分ほどで尾根に到達し、ここまではきついが、あとは尾根伝いに10分ほどで城の中主郭にたどり着く。日吉神社の境内に駐車することができる。(2008.09.23)

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