臼杵城
所 在 地 | 大分県臼杵市臼杵 | 別 名 | 丹生島城 |
遺 構 | 櫓、石垣 | 形 式 | 平山城(海城) |
築 城 者 | 大友宗麟 | 築 城 年 | 永禄5年(1562) |
歴 史 | 大友宗麟は、府内(大分市)を拠点に北九州に勢力を伸ばしていたが、永禄5年(1562)、毛利元就に破れた。このため、堅固な城として、丹生島に臼杵城を築城した。 天正14年(1586)、島津勢の攻撃を受けるが、大砲「国崩し」を用いて、撃退した。 慶長2年(1597)、文禄の役で大友義統が改易されたあと、太田一吉が入る。 慶長5年(1600)、関ヶ原の後、太田一吉は改易され、稲葉貞道が美濃郡上八幡から入封し、城を改修する。慶長13年(1618)に三の丸が完成する。 |
歴 代 城 主 | 大友氏、太田氏(6.5万石)、稲葉氏15代(5万石) |
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現在は周囲が埋め立てられているが、もとは臼杵湾に浮かぶ丹生島に築城されていた。臼杵城は、陸地とは橋でつながるだけであり、島全体の周囲が切り立った岸壁で、天然の要塞であった。 |
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臼杵城は、大友宗麟の築いた中世城郭が基礎となっているが、稲葉貞道によって改修され、近世城郭と変貌した。また三の丸が築かれることによって、、防御性がさらに高められた。 稲葉氏は美濃の豪族であり、貞道の父は稲葉一鉄。 |
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現存する二重櫓の畳櫓 | ||
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二の丸大手口の門である、大門櫓(復元) | 本丸の天守台 |