府内城

 所 在 地   大分県大分市荷揚町  別 名   大分城 白雉城 荷揚城
 遺 構   櫓、石垣、堀  形 式   平城
 築 城 者   福原直高  築 城 年   慶長2年(1597)
歴  史  慶長2年(1597)、文禄の役に際した大友氏の改易のあと、福原直高が府内に封ぜられ、築城を開始する。福原直高が改易されたあとは、早川長敏が継ぐ。
慶長6年(1601)、関ヶ原で西軍に属して早川長敏が自刃したあと、竹中重利が入封し、城を修築する。翌年、天守が完成する。
寛永11年(1634)、日根野吉明が、豊後高田より入封する。
万治元年(1658)、松平(大給)忠昭が、豊後高松より入封する。
寛保3年(1743)に大火により、天守をはじめ城内の中心部を焼失する。以後、天守は再建されず。
歴 代 城 主 福原氏(12万石)、早川氏、竹中氏2代(2万石)、日根野氏(2万石)、松平(大給)氏(2.2万石→2.1万石)


          内掘と本丸石垣
本丸には四重の天守があげられていた。人質櫓と、宗門櫓の2基が現存しており、大手櫓門、西の丸隅櫓、東の丸隅櫓、着到櫓が復元再建されている。
     西の丸と山里丸を繋ぐ廊下橋
櫓や塀は補修工事中のようで、テントがかぶされており、見ることができない。総ての櫓を同時にテントで覆うのではなく、一部ずつ順にテントで覆うように工事を進行する配慮がほしい。
現地案内図
          本丸内の櫓台
堀に面する石垣は打込みハギであるが、この櫓台の石垣は野面積みである。
本丸の二方を東丸と西丸(二の丸)で囲み、さらに二の丸の二方を三の丸で囲む、典型的な梯郭式縄張りである。

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