日出城
所 在 地 | 大分県速見郡日出町 | 別 名 | 暘谷城 |
遺 構 | 石垣、曲輪、堀 | 形 式 | 平山城 |
築 城 者 | 木下延俊 | 築 城 年 | 慶長7年(1602) |
歴 史 | 慶長6年(1602)、関ヶ原の戦いのあと、木下延俊(北政所ねねの兄・家定の子)が、3万石で入国し、築城を開始する。翌年、城がほぼ完成し、入城する。 宝永2年(1705)、三代目の木下俊長により、「暘谷城」と名付けられる。 以後、明治維新まで木下氏が在封する。 |
歴 代 城 主 | 木下氏16代(3万石→2.5万石) |
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本丸跡の、石垣と天守台(奥) 日出城は、別府湾に面した海岸に築城されており、本丸、二の丸、三の丸が梯郭式に連なる縄張りであり、木下延俊の義兄・細川忠興による設計とされている。 |
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天守台には、三重の天守があがっていた。石垣は打込みハギであるが、隅角部の算木積み不正確。 他に二重櫓5基、平櫓1基があった。石垣上の櫓は失われているが、鬼門櫓は移築されて残存している。 本丸南側が面する海岸は「城下(しろした)海岸」と呼ばれており、「城下かれい」の棲息地として知られている。 |
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天守台 | ||
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