徳島城
所 在 地 | 徳島市徳島町城内1番外 | 別 名 | 渭山城、渭津城 |
遺 構 | 石垣、堀、曲輪、庭園 | 形 式 | 平山城 |
築 城 者 | 蜂須賀家政 | 築 城 年 | 天正13年(1585) |
歴 史 | 天正13年(1585)に、四国征伐の功により蜂須賀家政は、豊臣秀吉から阿波18.6万石を賜り、入国する。当初、一宮城に入城するが、渭山に築城工事を行ない、翌年に徳島城を竣工する。 以後、徳島城は、江戸時代を通じ、明治維新に至るまで、蜂須賀徳島藩25万石の居城となる。 元和元年(1615) 大坂夏の陣で蜂須賀至鎮は淡路一国を加増され、25.7万石になる。同年、本丸の天守が取り壊される。 正保元年(1644)、東二の丸に天守が再建される。 |
歴代城主 | 蜂須賀家14代(18.6万石→25.7万石) |
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本丸の西面の虎口の石垣 |
徳島城は、北を助任川で、南を寺島河で囲まれた標高61mの渭山を城山として、山上に本丸、東二の丸、西二の丸、西三の丸を設け、南麓に御殿、西麓に西之丸を配した、平山城である。 |
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内堀の一部が堀川として残っている。左の写真の橋は、数寄屋橋。 |
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本丸の北面の石垣 |
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東二の丸の天守跡。本丸の天守が取り壊された後、東二の丸に天守台を設けない三重の天守が、御三階として再建された。 | 西二の丸の帳櫓跡 |