岡崎城

所  在  地  徳島県鳴門市撫養町林崎 別  名  撫養(むや)城、林崎城
遺  構  石垣、曲輪、模擬天守 形  式  平山城
築  城  者  小笠原氏? 築  城  年  不明
歴 史 岡崎城は、地元では撫養城と呼ばれているようだ。城の起源は不明だが、古くは南北朝時代の阿波・小笠原氏の居城と伝えられる。
戦国時代には、三好氏の配下の四宮氏が城主となったが、天正10年(1582)の長宗我部元親の阿波への侵入以降、真下飛騨守が城代として入る。
豊臣秀吉の四国征伐の後、天正13年(1585)に蜂須賀家政が阿波に入国し、徳島城の支城として阿波9城を設け、岡崎城には異母弟の益田正忠を城番として入れた。
寛永15年(1638)、一国一城令により、他の支城とともに、岡崎城も廃城となった。
歴代城主 小笠原氏、四宮氏、真下氏、益田氏


岡崎城の城跡に、天保元年(1830)に妙見神社が建立された。この妙見神社の社殿の奥に、岡崎城の石垣が残されている。


岡崎城には天守は無かったが、山頂部に立派な模擬天守が建っている。内部は鳥居記念博物館となっているが、平成22年10月現在閉館中。11月に鳥居龍蔵博物館として再開をめざしているとか。ちなみに、鳥居龍蔵は地元出身の人類考古学者らしい。 妙見山と、その山頂の模擬天守


<アクセス>
城跡がある妙見山の山頂部は妙見山公園となっている。妙見山公園の広い無料駐車場に車を置くことができる。模擬天守や妙見神社は駐車場から歩いてすぐ。(2010.10.17)

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