高取城

 所 在 地   奈良県高市郡高取町上子嶋  別 名   芙蓉城
 遺 構   堀、石垣、長屋門  形 式   山城(標高583m、比高390m)
 築 城 者   本多年朝  築 城 年   天正13年(1584)
 歴  史  天正13年(1584)、羽柴秀吉により、羽柴秀長が大和郡山に封じられ、家臣の本多年朝に命じて高取城を築城させる。
慶長5年(1600)、豊臣秀長の死後、独立した大名となっていた本多年朝は、関ヶ原の戦いで東軍に属し、1万石を加増される。
寛永14年(1637)、三代目の本多利長が無嗣により、本多氏は断絶する。幕府の大番頭である植村家政が、9千石から2.5万石に加増されて入封する。以後、植村氏が明治維新まで在封する。
慶応3年(1867)、高取城は、尊皇攘夷派の天誅組を攻撃を受けるが、撃退する。
歴 代 城 主 本多氏3代(1.5万石→2.5万石)、植村氏13代(2.5万石)


現在、本丸、二の丸に連なる石垣が、当時の威容を偲ばせる。

また城下には、重臣の長屋門が現存している。


標高583mの高取山山頂から北に築かれた山城である。本丸から二の丸、三の丸と多くの曲輪が尾根伝いに続く。城郭の中枢部に土居などはなく、総て石垣が積み上げられた堅固な造りとなっている。
山頂の本丸には三重三階の天守と、三重の子天守、各種の櫓が建てられ、多聞櫓で連結されていた。
明治まで続いた山城としては、備中松山城と並んで、貴重な遺構である。


二の丸大手枡形の石垣 本丸高石垣
本丸周囲の石垣

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