園部城
所 在 地 | 京都府南丹市園部町小桜町 | 別 名 | ― |
遺 構 | 櫓、門、石垣、堀 | 形 式 | 平城 |
築 城 者 | 小出吉親 | 築 城 年 | 元和7年(1629) |
歴 史 | 元和5年(1627)、小出吉親が但馬出石より入封し、築城を開始する。 元和7年(1629)、園部陣屋が完成する。 慶応3年(1867)、小出英尚が上洛して、孝明天皇皇后の御殿准后殿を守護する。 明治元年(1868)、鳥羽伏見の戦いが始まり、園部城は天皇の避難の場合の行在所と定められ、翌年にかけて大改築される。 |
歴 代 城 主 | 小出氏10代(2.9万石→2.7万石) |
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巽櫓 園部城に現存する唯一の二層の櫓 |
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櫓門 園部高校の校門になっている。 | 現在、本丸跡は、園部高校の敷地になっている。巽櫓も高校の門内にある。 |
園部城は、陣屋として建てられるが、天守代用の御三階櫓が築かれ、また櫓も4基が建てられ、陣屋というよりも城郭としての構えであった。 明治元年から2年にかけての大改築の際に、園部陣屋を園部城に整備する許可を得る。巽櫓、櫓門、三層の櫓などを築く。 現存する巽櫓はこのときのもの。社寺建築のような優雅なものであり、天皇の行幸のために築かれたが、行幸は実現しなかった。 |