物集女城

 所 在 地   京都府向日市物集女町中条  別 名 
 遺 構   曲輪土塁、堀  形 式   平城
 築 城 者   物集女氏  築 城 年   室町後期
 歴  史  物集女(もずめ)城は、乙訓郡の国人・物集女氏の居城であると考えられている。
永禄11年(1568)、織田信長が上洛を果たし、乙訓郡も織田信長の支配が強まる。天正元年(1572)には、細川藤孝に、この地を含め、桂川西岸一帯の一職が与えられ、細川藤孝は国人の所領を安堵した。しかし、物集女城主・物集女忠重は、代々自分の土地であるとして、所領安堵の御礼を拒否したため、細川藤孝の居城・勝龍寺城において殺害される。
これにより、物集女氏は没落し、物集女城も廃されたようだ。
歴 代 城 主 物集女氏


物集女城の東側の堀。今も水をたたえ、田んぼに水を引くための用水池として利用されている。


物集女城は、東西100m、南北75mの方形に近い形で、周囲を一重の堀と土塁によって囲まれていた。規模と防御性からすると「館」というべきだろう。
土塁は幅7〜12m、高さ1〜1.5mの規模で、東辺に45m、北西隅に一部が残っている。堀は、幅5〜15mで東辺に残っている。


城の敷地は現在、畑になっている。向こうは、北西隅に残る土塁の一部。 現地案内板の、復元想像図


<アクセス>
阪急洛西駅から府道201号線を西に800m、「物集女公民館」の道路案内標識のある信号を南に折れる。200mほどで、物集女公民館がある。城址は、その手前を東側に入ったところ。案内板があるのですぐわかる。周囲は住宅地で、駐車場はない。物集女公民館内に城の復元模型が展示してあり、パンフレットも置いてあるようだが、日祝祭日は休館。(2005.05.03)

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