鹿背山城

 所 在 地   京都府木津市鹿背山城  別 名    ―
 遺 構   曲輪土塁、竪堀、堀切  形 式   山城(標高135m)
 築 城 者   不明  築 城 年   不明
 歴  史  鹿背山(かせやま)城の始まりは不明であるが、15世紀に南都の興福寺の北方防衛の拠点として史料に登場するとされる。古市氏など、興福寺傘下の武将が城将として入城している。
戦国時代に入り、永禄11年(1568)頃には、大和国北部を掌握していた松永久秀の城となり、大規模な改修が加えられた。
歴 代 城 主 不詳


大手道を登り始めて200mほど、左手に大規模な竪堀が見える。

竪堀は埋まって分かり難いことが多いが、この竪堀は、整備されているので非常にわかり易い。


主郭(T) 約60m×30mの大きさ 主郭(T)の虎口の横の土塁


主郭(U)と主郭(V)の間の竪堀 主郭(V)の北東外側の堀切


300m四方の城域を有する南山城最大の山城である。最高所の主郭(T)から、南東方向へ尾根沿いに主郭(U)、主郭(V)が連郭式に繋がり、また主郭(T)から北西方向の下り尾根に沿って多数の曲輪が階段状に連なる。
織豊城郭登場前の築城技術水準を示す貴重な遺構を残すとされる。


現地案内板の曲輪配置図

<アクセス>
国道24号線の木津の信号をJR木津駅方向へ曲がり、次の信号を左折し、踏切を越えて次の信号を右折して県道47号線に入る。2.5kmほど走って鹿背山の信号を右折し、鹿曲田の集落へと入る。信号から500mほどで木津川小学校鹿背山分校の付近に着くので、このあたりの道路脇に車を止める(観光地図の看板の前に2台ほど駐車可能)。西念寺へと狭い道を入っていくと、城の案内板がある。その先が城の大手口。大手道を歩いて300m程で、最高所の主郭(T)に到達する。(2009.04.18)

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