石垣山一夜城

 所 在 地   神奈川県小田原市早川  別 名   太閤一夜城
 遺 構   石垣、曲輪、堀  形 式   山城(標高257m、比高220m)
 築 城 者   豊臣秀吉  築 城 年   天正18年(1590)
 歴 史  天正17年(1589)、豊臣秀吉は後北条氏に宣戦布告し、翌年には、後北条氏が本拠とする小田原城を包囲した。
石垣山一夜城は、この小田原攻めの際に、小田原城を北東のかた3kmに見下ろす笠懸山の山頂に築かれた陣城であり、豊臣秀吉の本陣でもある。
4万人を動員して、天正18年(1590)4月はじめから6月終りにかけて80日を要して築かれたといわれる。
歴 代 城 主 豊臣秀吉


南曲輪東面の石垣

石垣群のなかでは、比較的、石垣組みが良好に残っている。
野面積みであり、近江の穴太衆に築かせたといわれる。


小田原攻めの陣城といっても、関東では始めての総石垣造りの、本格的な城郭であり、天守台が残存するので天守も備えていたといわれる。豊臣秀吉の滞在は結局100日程度で終わったが、相当の長期戦を覚悟して築城したと思われる規模の城郭である。
関東大震災など度重なる地震で石垣の崩落がみられるが、石垣の規模はたいしたもので、石垣ファンには必見の価値がある。現在城跡は、歴史公園として整備されており、駐車場から城内に直ちに入ることができる。国指定史跡。


二の丸(馬屋曲輪)と、本丸(本城曲輪)の石垣 天守台の石垣


                           井戸曲輪
城内で一番のみどころ。すり鉢状に窪んだ曲輪となっており、北側と東側は石垣の壁で囲まれている。右の写真が曲輪の中央の井戸であり、今も水が沸いている。


現地案内図

南西隅に天守台を備えた本丸を、北東の二の丸と井戸曲輪、南東の南曲輪、南西の西曲輪で囲む。

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