新府城

 所 在 地   山梨県韮崎市中田町  別 名   韮崎城
 遺 構   曲輪、土塁 堀  形 式   平山城
 築 城 者   武田勝頼  築 城 年   天正9年(1581)
 歴 史  新府城は、武田勝頼により、天正9年(1581)に築かれた。
天正3年(1575)の長篠の戦いの後の形勢を踏まえ、武田氏の本拠の躑躅ケ崎館から、天険を利用した新たな拠点へと移るため、2月に着工し、突貫工事で12月に完成させた。
しかし翌天正10年(1582)、織田軍が信濃、さらに甲斐へと侵攻すると、武田勝頼はなすすべもなく、城に火をつけて落ちた。入城から僅か68日という。
歴 代 城 主 武田勝頼


             本丸
東西90m、南北150mと広い。西と南は曲輪に囲まれて防御されており、北と東は急峻な崖と広い堀で守られている。現在、一画に藤武神社が鎮座している。
二の丸
本丸の西に位置し、本丸の1/3程度の規模


西三の丸
本丸の南に位置する
東三の丸
三の丸は土塁で東西に分割されていた

西面が七里岩の断崖となった天然の要害を利用して築城されている。南北600m、東西550mの規模であり、外堀と最高所の本丸との標高差が80mの平山城である。石垣を用いず、土塁で囲まれている。本丸の西に二の丸、南に西三の丸と東三の丸が配されている。東三の丸の南側の大手口は枡形として形成されており、三日月堀と三日月土塁からなる丸馬出で防御されている。


現地案内板の想定復元図


<アクセス>
中央自動車道韮崎ICから韮崎市内へ向かい、七里岩トンネルを出てすぐ左折して県道17号線に入る。約4kmほどで、城跡のある台地の麓に達する。城址見学者用の駐車場がある。また城址の入り口の前にも、数台駐車できる。(2009.06.04)

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