今治城

所 在 地  愛媛県今治市通町3丁目 別 名  吹揚城
遺 構  堀 石垣 再建(模擬天守 櫓 門) 形 式  平城(海城)
築 城 者  藤堂高虎 築 城 年  慶長9年(1604)
歴 史 慶長5年(1600)に関ヶ原の戦いの功により、藤堂高虎に伊予半国が与えられ、慶長7年(1602)に今治城の築城を開始する。今治城の築城は慶長9年(1604)に完成した。
慶長13年(1608)、藤堂高虎は伊勢・に転り、今治を、甥の藤堂高吉に分知した。
寛永12年(1635)、藤堂高吉は伊賀・名張に転封され、松平(久松)定房が入封する。以後、松平氏が明治維新まで在封する。
歴 代 城 主 藤堂氏1代(20万石)、藤堂氏1代(2万石)、松平(久松)氏10代(3万石)


内堀と天守(模擬)


城は瀬戸内海に面した海城であり、本丸の北東に二の丸、北に三の丸を配置して主郭とし、内堀で囲み、これをさらに海に面しない三方を中堀と外堀でコの字型に囲む。各堀は海と通じており、海水である。
現在、本丸・二の丸・三の丸とこれらを囲む内堀が残されておる。現存建築物はないが、天守、櫓、門、塀等が再建されている。


鉄御門(再建) 模擬天守 藤堂高虎が築いた天守は丹波・亀山城に献納したともいわれるが、発掘調査によれば天守が存在した痕跡はないとのこと。


左・武具櫓 中央・天守 右・山里櫓 山里櫓(再建)と山里門(再建)


武具櫓(再建) 御金櫓(再建)


<アクセス>
JR今治駅の東方約1.2km。城の北東面の堀沿いに駐車場(有料)がある。

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