池田城

 所 在 地   大阪府池田市城山町  別 名    ―
 遺 構   摸擬櫓、摸擬門、摸擬城壁  形 式   平山城
 築 城 者   池田氏  築 城 年   室町時代
 歴  史  池田城は、室町時代から戦国時代にかけて、池田市一帯を支配した国人領主・池田氏の居城であり、15世紀のはじめ頃に築かれたと考えられている。
池田氏は、応仁の乱のときには、摂津守護細川氏の配下になっており、永正5年(1508)、細川家が澄元と高国に分裂して争ったとき、澄元についた池田城は高国に攻められて落城したことが、発掘調査により確認されている。
永禄11年(1568)、織田信長が足利義昭を奉じて上洛し、摂津に進出したとき、城主・池田勝正は抵抗するが落城し、織田氏の配下となる。
元亀元年(1570)、池田氏内部でクーデターが起こり、家臣の荒木村重が池田を支配するようになる。
天正2年(1574)、荒木村重は有岡城を居城として移り、以後、池田城は機能を喪失したといわれる。
歴 代 城 主 池田氏、荒木氏


天守櫓の雰囲気に建てられた展望台
 勿論、史実に基づかない
公園の南門


再現された城壁 展望台内に展示されている、池田城の想像図


池田城は築城当初は、主郭に小さな曲輪が付いた程度の小規模なものであったが、永正5年の落城後に、主郭の周囲の堀を広げ、土塁を設けて防御機能を高めた。また元亀元年の落城の後、織田方の築城技術を取り入れて虎口の防御機能を高めるなど、城の規模を広げた。
池田城の主郭の跡地は、池田城跡公園として整備されている。平成元年からの発掘調査に基づき、枯山水、井戸、虎口、排水溝が再現されている。


池田城跡公園は、阪急池田駅から北へ約600m。案内標識に導かれて徒歩約10分。周囲に駐車場はない。

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