麻田陣屋

 所 在 地   大阪府豊中市蛍中町3丁目  別 名    ―
 遺 構   移築門  形 式   陣屋
 築 城 者   青木一重  築 城 年   元和元年(1615)
 歴  史  青木一重は、今川氏真、徳川家康、丹羽長秀に仕えたあと、羽柴秀吉の家臣となった。秀吉の死後は、豊臣秀頼に仕えた。
慶長19年(1614)、大坂冬の陣のあと、使者として徳川家康のもとへ赴いたときに、捕らえられた。
元和元年(1615)、家康に召しだされ、1万2千石で麻田に立藩した。
弟・可重に2千石を分与して1万石になったが、青木氏は麻田の地に明治維新まで14代続い。
歴 代 城 主 青木氏14代(1.2万石→1万石)


蛍池公民館の前に建つ「麻田藩旧蹟」の石碑


麻田陣屋は、当時の絵図によると、方形で周囲に堀を巡らせ、面積は五反歩(1500坪)余りあったといわれる。その周囲には家臣の邸宅が並んでいた。
陣屋は、阪急蛍池の駅前の蛍池公民館一帯にあったが、市街地と化しており、遺構はない。陣屋の門は豊中市内に移築され、陣屋御殿の玄関は報恩寺に移築され、それぞれ残っている。


陣屋跡の石碑が建つ蛍池公民館は、阪急蛍池駅の西側に隣接する商業施設「ルシオーレ」の裏手に面している。

日本の城目次へ戻る
前の頁に戻る                次の頁に進む