茨木城

 所 在 地   大阪府茨木市片桐町  別 名    ―
 遺 構   移築門  形 式   平城
 築 城 者   茨木氏  築 城 年   不明
 歴  史  茨木城は、建武年間に楠木正成により築かれたのが始まりとされるが、不明。
15世紀からは、茨木氏が城主であった。永禄11年(1568)の織田信長の摂津進出の後、茨木氏は織田方に属する。しかし元亀2年(1571)、茨木重朝は和田惟政と同盟して、荒木村重、中川清秀と戦い、敗れて茨木城は落城した。
戦後、茨木城に中川清秀が入り、大幅に改修と拡張が行なわれた。中川清秀は、天正11年(1585)の賤ケ嶽合戦で戦死し、天正14年(1588)にその子の中川秀政が播磨の三木城へ移封され、茨木城は豊臣政権の直轄になる。
慶長6年(1601)、茨木城は片桐且元に与えられる。ただし、且元は大和の龍田城を本拠としたので、弟の貞隆が実質的な城主といわれる。
元和元年(1615)、一国一城令により、摂津国では高槻城を残し、茨木城は取り壊されて廃城となる。
歴 代 城 主 茨木氏、中川清秀、片桐且元


茨木神社の東門
茨木城の搦手門が移築されたものとされている


茨木城の正確な城域は、小規模な発掘調査しかされていないため不明。町名より推測して、東西220m、南北330mの範囲の規模ではなかったかと考えられている。
茨木小学校一帯が城の中心であったと考えられているが、市街地と化しているので、遺構は残っていない。茨木小学校の近くの茨木神社に、茨木城から移築されたと伝わる門がある。


        茨木小学校の正門
大和郡山市の慈光院に移築された茨木城櫓門を原寸大で復元したもの。
茨木城の本丸があったとされる、茨木小学校


<アクセス>
復元櫓がある茨木小学校は、阪急茨木市駅の北西・徒歩10分、JR茨木駅の北東・徒歩15分。移築門のある茨木神社は、茨木小学校の南・200m。いずれも周囲に駐車場はない。(2009.05.03)

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