布施山城

 所 在 地   滋賀県東近江市布施町・市部町  別 名    ―
 遺 構   曲輪 土塁 竪堀  形 式   山城(標高240m)
 築 城 者   布施氏  築 城 年   15世紀末ころ
 歴  史  布施氏は佐々木六角氏の家臣であり、本家筋といわれる布施三河守家と、布施淡路守家に分かれていた。布施山城の城主は布施三河守家であり、布施淡路守家の城は、東方5kmにある大森城
永禄6年(1563)に、六角氏被官の後藤氏が六角義弼に観音寺山城内で誅殺され、これに反発して家臣が自領へ引き上げた「観音寺騒動」が起きた際、永禄9年(1566)、布施氏は布施山城に拠って、浅井氏と呼応して六角氏に反旗を翻した。この騒動は、蒲生氏の調停によって収拾されたが、六角氏の権限を制限した「六角式目」が制定された。
永禄11年(1568)、織田信長の上洛の際の近江侵攻により、布施山城は落城し、以後、城は廃される。
歴 代 城 主 布施氏


布引山系の北西縁に位置する布施山(玉緒山)の山頂に城址がある。


城郭は南側の主郭と北側の副郭とからなる。主郭は約30m×20m、副郭は約20m×15mの不整な長方形。主郭は副郭よりも高く、3mほどの差がある。


主郭 周囲を1m程度の土塁で囲む 主郭と副郭の間の虎口跡
主郭と副郭の間の虎口跡には上の写真のように石が散乱しており、長い巨大な石材もある。
この長い石材を両側の石積の上に架け渡して、埋門の様相を呈する門が、主郭と副郭の間にあったとされる。
副郭 周囲の土塁の高さは0.8m程度


<アクセス>
「梁塵秘抄」で知られる(らしい)布施溜池の西縁から山に入る。布施溜池は公園化されており、公園の駐車場に駐車することができる。
小さい地蔵の石仏が入り口に置かれた小道から山に入る。入ってすぐの右側に石室がむき出しになった古墳がある。雨が降れば川となると思われる小さい谷筋に沿って進む、まもなく道はなくなるので、谷筋の右側へと斜面を登っていく。所々に色あせたテープや紐が木の枝に結ばれているので、これを頼りに、兎に角がむしゃらに登るしかない。試行錯誤しながらどうにか30分ほどで、山頂の城域に達する。下山も、テープや紐を捜しながら、もときたルート(道ではない)を戻る。方向を見失うと、山中をさまようことになる。(2009.02.22)

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