長光寺城

 所 在 地   滋賀県近江八幡市長光寺町  別 名   瓶割山城
 遺 構   石垣 堀切 土橋 曲輪  形 式   山城(標高234m)
 築 城 者   佐々木四郎政尭  築 城 年   15世紀後半(1468頃)
 歴  史  長光寺城は、応仁の乱のさなかの応仁2年(1468)に、近江守護佐々木六角高頼と対立した佐々木政尭により築城されたとされる。佐々木四郎政尭は六角氏であるが、応仁の乱では、佐々木京極氏とともに西軍に属し、近江守護をめぐって東軍の六角高頼と争った。
以後の歴史は不明であるが、元亀元年(1570)に織田信長が柴田勝家を長光寺に入れたことが、「信長公記・巻三」に記載されている。そして柴田勝家は、この城に籠って六角承禎と戦った際に、城内の水瓶を割って出陣して勝利したので、「瓶割り柴田」の異名をとったという有名な言い伝えがある。このため城は瓶割山城とも呼ばれる。
長光寺城は、安土城が築城された天正4年(1576)頃に、廃されたと考えられている。
歴 代 城 主 佐々木六角氏 柴田勝家


一の郭の西面の石垣 6m以上の高石垣である


一の郭 一の郭と二の郭の間の堀切と土橋


城郭は、瓶割山の山頂を主郭の一の郭とし、南西に二の郭、北西に三の郭、東に東郭が、それぞれ尾根上に伸びる構造となっている。一の郭は南北55m、東西65mの規模であり、その西面の南側端部に石垣が存在する。


北西方面の繖山(観音寺山) 佐々木六角氏の居城・観音寺山城がある 現地案内板の地図


<アクセス>
国道8号線の六枚橋交差点を東側へ折れ、約500mで左手にコンビニがある。このコンビニの手前の交差点を左折し、100m程先で右側の集落へ入る道を進む。500mほど行くと、小さいトンネルがあるので、潜ると、神社になる。神社の左手の広場の奥の坂道を上がると、右手に山へ入る山道がある。「瓶割山城跡」の標識があるこの山道を15分ほど登ると、一の郭の石垣に出会う。駐車場はないので、コンビニを利用するのがおすすめ。(2010.01.11)

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