引田城
所 在 地 | 香川県東かがわ市引田 | 別 名 | |
遺 構 | 曲輪 石垣 | 形 式 | 山城(標高82m) |
築 城 者 | 不明 | 築 城 年 | 室町時代 |
歴 史 | 引田城の始まりは不明であるが、室町末期には、四宮氏の居城であった。 元亀元年(1570)、三好氏に攻められ、引田城は三好氏に明け渡される。 天正11年(1583)、仙石秀久が入城し、居城とする。 天正15年(1587)、豊臣秀吉の四国征伐のあと、生駒親正に讃岐一国が与えられ、引田城に入城する。 天正16年(1588)、生駒親正は高松城を築いて移る。 その後も、引田城は生駒氏の持ち城であったが、元和元年の一国一城令により、廃城となる。 |
歴 代 城 主 | 四宮氏、仙石氏、生駒氏 |
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北の郭の石垣。上下二段になっており、下段の石垣は高石垣ともいえる高さ。 |
引田城は、瀬戸内海に半島状に突き出た標高82mの城山に築かれている。西側が陸続きであるが、他の三方は断崖で海に面した要害である。城山の山頂を中心として12haの範囲に、北の郭、東の郭、西の郭、南の郭、丹後丸などと呼ばれる7つの平坦地がある。 総石垣の城であり、現在も、北の郭、西の郭、丹後丸などに多くの石垣をみることができる。 |
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北の郭の石垣 | 西の郭の石垣 西櫓跡といわれる |
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南の郭 | 丹後丸の石垣 |
<アクセス> 国道11号線のJR引田駅の近くの交差点から、東かがわ市引田町の集落へと入り、案内標識に従って田浦キャンプ場へめざす。この間、約2kmで、田浦キャンプ場の手前に、引田城の大きな案内板がある。この案内板の横から城山に入ることができる。案内板の前に駐車場も完備している。(2010.10.19) |