東野山城

 所 在 地   滋賀県長浜市余呉町東野・中之郷  別 名    ―
 遺 構   土塁、曲輪、空堀  形 式   山城(標高407m)
 築 城 者   堀秀政  築 城 年   天正11年(1583)
 歴  史  東野山は、京極氏、浅井氏が湖北を支配する時代から、在地豪族である東野豊前守一族の居城のあったところ。
天正11年(1583)の賤ケ嶽合戦に際して、羽柴秀吉の武将、佐和山城主の堀秀政が東野山に砦を築いた。羽柴勢のなかでは、最前列右翼の位置にあり、柴田勢の佐久間盛政が布陣する行市山と対峙した。
歴 代 城 主 堀秀政


四つの郭のなかで、最も広い東側の郭 東側の郭を囲む土塁と、その外側の空堀


現在東野山に残っている遺構は、賤ケ嶽合戦の際に堀秀政が築いたものと考えられている。
東野山の山頂は麓から比高約260mあるが、比較的なだらかであるので、土塁と空堀を多用して曲輪が形成されている。中心部は三つの曲輪からなり、西側最高所にある曲輪が主郭であると考えられている。


現地案内板


四つの曲輪が東西約80m、南北約50mの範囲で配置されている。
中央の曲輪が最も高所にあり、主郭と目される。


<アクセス>
国道365線と平行に余呉小学校の前を平行に走る北国街道がある。余呉小学校の南側において、この北国街道から東側へ道が分岐している。この道は余呉小学校の裏手から高速道路の下を潜って山へ入る林道となっている。この細い林道を3.5kmほど進むと、城跡の直下に至る。城跡は林道からすぐ。(2008.05.02)

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