登山

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生まれて初めて登った山は、遠足で地元の久須谷岳.
高校の時はやはり地元の三十三間山
登山と言えるのは、YDCの皆さんと登った丹沢が初めて。

昭和51年10月23日
谷川岳

 夜行での谷川岳は素晴らしい晴天。カタズミ尾根から左手に一ノ倉沢を眼下に谷川岳山頂へ。ぽかぽか陽気の中、少々昼寝をした後、厳剛新道から下山、車道に出てから道を間違えると言うへまをした。
 ザックは安物だったが、靴だけはと、防水性には優れないが、歩きやすい、大久保のICI石井スポーツでガリビエールスーパーガイドを購入。同時にラグビーシャツを購入したが、当時まだ有名でなかったジオテック構造テントを作っていたTHE NORTH FACE。 WOOLRICHやシェラデザイン等に比べ、抜群の耐久性とデザインにより、いまだに使い続けている。

カタズミ尾根入口付近 魔の岩壁、一ノ倉沢 緊急シェルターと思われるもの。
谷川岳山頂付近 一ノ倉沢 のぞき 登山道の横がすぐこれ。 天神平スキー場
谷川岳山頂 リーダーとグッチャー きっと甘い物を食べてる。

昭和51年10月30日
谷川岳

再び谷川岳へ単独行。夜中につくと、先週とは打って変わって大雪、予定の白毛門ルートが見つからないのと遭難の危険性があるので、人気のある道を行く。登山口近くの案内所には、本格登山や岩登りの面々が、前日から新聞紙に包まって寝ている。これを見て登山が更に好きになった。西黒尾根から登攀し、頂上付近でホワイトアウト。非常に危険なのでじっとしていると山小屋が見えた。それから快晴になり、天神尾根の雪はほとんど消えた。木道を歩くが、ビブラムソールもこれには弱く、つるつるして転ぶ。その後天神からロープウェイで下山。
天神スキー場 朝の大雪もほとんど消えた。 昼過ぎても残っていた雪
東京-土合は870円

昭和52年5月20日
尾瀬

20日の夜行でK氏と大清水より尾瀬に入る。残雪のナデックボより燧岳へ。
ガスがあるが強風のため時々晴れる。第二長蔵小屋で一泊。翌日は僅かな花の中を木道を歩いて鳩待峠より帰る。
朝方は急に冷えるんだよ。寒い! どうだ、尾瀬だ。
燧の山頂だ。尾瀬沼が見えるよ。 さあ、いっちょう行くか。向こうは至仏だ。

昭和53年初夏
北岳 間ノ岳 農鳥岳
ずっと天候が悪かった。山頂の視界は全く無い。
この方が集中して登ることが出来る。
実際、景色にうかれて滑落する人が多いので、晴れた日は注意が必要だ。

草すべりに入るところ。
霧だが、まだ見える方。
農鳥岳頂上。やはり濃霧。

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