YUTAのモスクワ留学はちゃめちゃ通信
ウクライナはちゃめちゃ紀行 オデッサ編
 早朝発のバスに乗り、ウクライナのきれいな景色を眺めながら約8時間オデッサへと到着しました。オデッサは「黒海の真珠」と呼ばれる所で、ここからフランス、イタリア、ギリシア、トルコなどと結ぶ船が出ている港町です。古くから国際貿易都市として栄えただけあって、町には自由な気風が満ちあふれています。夏は37度まで気温が上がり、ビーチでは5月中旬から9月末まで泳ぐことができるのでウクライナの夏のリゾート地となっています。

 何も計画を立てずに出発したウクライナ旅行で、ただ1つだけやりたかった事は、青い海ではない黒い海“黒海”を見て、そしてその黒海で泳ぐ事でした。

 オデッサに到着してまず最初にしなくてはいけないのがこの旅恒例の宿探しで、到着したバスターミナルで客待ちをしていたタクシー運転手に海から近くてたくさんホテルのある場所まで連れて行ってもらいました。

 ガイドブックに載っていた安いホテルはで夏のこの時期とあって、ほとんど満室か値段の高い部屋しか空いておらず結局何件か探し回った結果、探した中で一番安い部屋のあるオデッサホテルに泊まることにしました。

 この旅で初めてのホテルです。キエフではずっとアパートを借りて住んでいたので。)このホテルは海まで歩いてほんの数分で、部屋もそこそこきれいでトイレ、シャワー、テレビ、冷蔵庫と設備も整っていました。値段は80グリブナ(約1840円)でした。フロントのおばさんの対応もよかったです。

 チェックインを済ませて早速、黒い海“黒海”を見に行きました。

 ホテルから歩いて数分でオデッサにあるビーチのなかでいちばんにぎやかなビーチであるである「アルカーディアへ着きました。

 さすがにシーズン中とあって、浜辺には多くの人達がいました。
 目の前で見た黒海は、黒い海というよりは濃い青色みたいな感じの海でした。

 浜辺を見渡してみて思ったのは日本ではビーチにはどちらかと言うと若者が多くいるものですが、ここのビーチは老若男女人を問わず、全ての人が浜辺で日光浴をしたり海で泳いだりしていました。お年寄同士でビーチに来ている人達もたくさんいました。

 僕も黒海で泳ぎ、肌が痛くなるまで浜辺で日焼けをして満喫しました。

 オデッサは夜になってもなかなか暗くならないので、みんな9時ごろまで海で泳いでいました。僕も休憩がてらベンチに座って黒海を眺めながら、この海の向こうにはトルコがあるのかーなどと考えたりしていました。

 次の日、初日に泊まった「オデッサホテル」をチェックアウトして、この辺りのホテルで値段の一番安い所に移ることにしました。前日にこの宿を見つけた時は、値段も回りにあるホテルと比べ断然安く、貧乏学生の僕にとっては最適の場所でした。場所的にも海から近い所にありました。初日からこのホテルにしたかったのですが、その日は満室のため断られ、明日また来てくれと言われました。次の日にもう一度そこを訪れ、部屋は空いていますかとフロントのおばさんに尋ねると、「部屋は空いてはいるけれども、ここはウクライナ人専用の安宿みたいな所でトイレもシャワーも共同で、あなたみたいな外国人観光客が泊まれるような場所ではない。」と断られました。

 ですが貧乏学生の僕にとってはそのような事は全く問題ではなく、「私は学生でお金があまりないので出来るだけ安いホテルに泊まりたいのです。どうかお願いします。」と頼むとフロントの人たちが他の従業員の人達と相談しながらどうしたものかと悩んでいました。とそこに泊まっているお客の一人であるおばさんが「いいじゃない、この子が泊まりたいって言っているんだから泊めてあげなさいよ。」と言ってくれたこともあり、どうにかここの安宿ホテルに泊めてもらえることになりました。

 連れて行かれた部屋はさすがに安宿とあって多少は汚い部屋ではありますが、寝るだけには十分で、ベッドも狭い部屋になぜか4つもありました。トイレ、シャワーは男女共同でこれは多少どころではない汚さでした。シャワーはもちろん水のみでした。ですが130グリブナ(約690円)なので文句も言えません。あらかじめこのような設備のホテルとわかった上で泊まることにしたのですから。

 モスクワに帰る日までこの宿に泊まろうと決め、最初に滞在日数分(3日間分)のお金を支払いました。

 オデッサ市内にある「ポチョムキンの階段」を見に行きました。

 ソヴィエト映画史上ベスト・ワンと言われる、エイゼンシュテイン監督の「戦艦ポチョムキン」(1925年)の映画の1シーンで使われたこの階段は1837年から1841年に造られました。おもしろいことに、上から見ると踊り場だけで、下から見ると階段だけしか見えません。また歩いていると気付きませんが、階段の幅が下に向かって少しずつ広くなっています。下から見上げたとき、いかにも堂々とした安定感が感じられるのはそのためです。

 僕はまだ「戦艦ポチョムキン」の映画をまだ見ていないので早速見てみたいと思います。

 そのあと、絵や民芸品を売る出店が集まるゴールサト公園へ行きました。ここはたくさんの絵が売られており、自身の絵も描いてもらえます。

 オデッサでの滞在の間、毎日ビーチに行きました。おかげでかなり日焼けしました。

 夜の浜辺も露店がたくさん出ていて賑わっているので、昼間海に行って一度ホテルに戻ったあと、夜のビーチへも毎晩行きました。ほとんど1日中ビーチにいた感じです・

モスクワに帰る最後の日まで泊まった「トゥーリスト」と言う名前のホテルは、ホテルというよりも民宿のような所で、従業員の人達もお客同士もみんなわきあいあいとしており、日本人の僕に対しても親切に接してくれました。夜にはフロントに置いてある白黒のテレビをお客と従業員たちが一緒になって見ている姿をみると、ここに泊まってほんとよかったなーと思いました。ここはウクライナ旅行中、僕が泊まった宿の中で一番値段の安いところでしたが、一番気に入ったホテルでした。

 モスクワに帰る日の朝に、僕はここの従業員の人たちと、僕をこの宿に泊めてくれるように説得してくれたお客のおばさんに日本のポストカードと「祭り」と書かれたうちわをプレゼントし、モスクワに帰る電車に乗る為、駅へと向かいました。

行きは電車でモスクワ→キエフ間は約12時間だったのに対し、帰りの電車のオデッサ→モスクワ間は約28時間もかかるのでかなりきつかったです。電車に乗る前にろくに食料も買い込まなかった僕はモスクワに着くまでの約28時間かなり辛い時を過ごしました。

でもこれも全ていい旅の思い出です。

 

 ウクライナと日本、というと関係の薄い国同士だと思うかも知れませんが(僕も行く前はそうでした。)そう思うのは日本側だけかもしれません。実際ウクライナへ行ってみると日本製の電化製品やカメラの看板があちこちにあり、日本製の車、バイクがたくさん走っていました。テレビをつけると日本のアニメや、日本の映画(北野武の「HANABI」や結構マニアックな日本のホラーコメディ「カタクリ家の人々」)が放送されていました。

 他にも日本を連想されるようなCMがいくつも流れていました。これらを通して、一般の人々に対する日本に対する関心も強いです。現に僕が浜辺で商売をしているウクライナ人のおじさんとおばさんと話していると、おじさんとおばさんは僕が日本人とわかった途端、日本について様々な質問をしてきました。「日本人の一ヶ月の給料はいくらだ?」、「日本のアパートは一ヶ月いくらだ?」、「日本の人口は何人だ?」、「マイクロソフトの社長の名前はビルゲイツだがSONYの社長の名前は何だ?」などなどと・・。このようにウクライナの人達が日本に対して強い興味を持っているのが分かると思います。

 ウクライナを訪れる日本人観光客はほとんどいないので、日本ではウクライナに対してわからない事の方が多いと思いますが、ウクライナはとてもきれいな街ばかりで人も皆親切なので、海外旅行の地として是非僕はお勧めしたいです。

街中にトイレが少ないのは難ですけど・・・。 

 以上 ウクライナはちゃめちゃ紀行は終わりです

ASIAZACCA
Copyright (C) 2001 ASIAZACCA. All Rights Reserved.(禁転用)