YUTAのモスクワ留学はちゃめちゃ通信
2003年8月

 

 僕の以前のクラスメートだった日本在住のカナダ人“イワンさん”4月号を見て下さい)が前回、「10月にまた来るね。」言っていたのですが、8月に休暇をとってここプーシキン大学へと再びやって来ました。

 イワンさんがモスクワにやって来た時は僕がウクライナに行っていた日と少し重なった為、実際会うことができたのは最後のわずか3日間だけでした。3日後には仕事の為、日本に帰らなければならないので。イワンさんは日本で英会話の先生の仕事をしていて、日本に住んで9年目になるおもしろいおじさんです。相変わらずびっくりするほど日本語がペラペラでした。5ヶ国語くらい話せるそうです。今までに世界28ヶ国へ行ったらしく、渡航回数は優に100回は超えているそうです。

 日本に帰る前日に一緒に夕御飯を食べに行き、その席で僕がウクライナ旅行についての話しをし、ウクライナはとても楽しかったですと言うと、「じゃあ次はウクライナへ行くね。」と本気で言っていました。どうも僕が、ウクライナ旅行が楽しかったと言ったからだけでウクライナ行きを決めたのではないらしく、イワンさんが言うには世界で一番美しい女性のいる国は意外にも「ウクライナ」らしく、以前からその事を彼は知っていたので前から1度ウクライナへ行ってみたかったらしいのです。40過ぎにもなって未だ若いお姉ちゃんが大好きなイワンさんは、ほんとおもしろい人です。

 来年の夏東京で会おうと約束し、イワンさんは日本へと帰って行きました。

ウクライナ旅行から帰ってきて1週間後にサンクト・ペテルブルグの旅へと向かいました。 

サンクト・ペテルブルグはモスクワに次ぐ第2の都市で、今年は建都300周年とあり、各地で様々なイベントが催されています。300周年記念の式典には日本の首相も出席しました。

 今回は一人旅ではなく、モスクワ大学に留学している日本人の人と二人で行きました。

モスクワから電車で約9時間でサンクト・ペテルブルグへと到着しました。

今回もウクライナ旅行と同様、宿探しから始まりました。駅前で客待ちをしていた、アパートを貸すことを商売にしているおばさん達の何人かと交渉して、汚くてもいいから一番安い部屋と言い、1人250ルーブル(約1000円)の部屋を紹介してもらいました。

おばさんが書いた地図を頼りに、そのアパートへ向かうと、アパートには母と息子の二人が住んでいました。僕はてっきりウクライナで借りたアパートの時と同じようにアパートまるごと1室を借りきれるとばかり思っていたら、ここは部屋の余っている家庭がその部屋を1部屋だけ貸すというまるでホームステイのようなものでした。家の人に案内された部屋の1室は狭く、おまけにベッドは1つしか置いないので大の男2人が寝るにはきつすぎました。

アパートを借りる交渉をした際に、僕達はどんなに汚くてもいいから一番安い部屋とは言いましたが、ベッドが一つしかないのは腑に落ちませんでした。「1部屋250ルーブル」なら分かりますが、「一人250ルーブル」はおかしい話でした。

 今日はもう疲れていたのでとりあえず今日はこの部屋に泊まり、明日から別の違う宿を探そうと決めました。このアパートに泊まって一番きつかったのは、お風呂やトイレに行く時に家族の人に気を使いながら行くのでなく、1つのベッドを2人で使うことでもなく、半端じゃない多さの「蚊」でした。数え切れないほどの蚊がこの部屋にはいて、何十箇所もかまれてしまい、体中がかゆくて眠れず、結局朝4時ごろまで蚊と格闘して全く熟睡出来ませんでした。

 これは本当にきつかったです。蚊の恐ろしさを嫌と言うほど知りました。

 翌朝、熟睡することが出来なかった疲れと、体中が蚊に刺されたかゆみが残るなか、前もって連絡をとって会う事になっていた、僕が日本でお世話になっている大学教授夫妻の元へと向かいました。

 教授夫妻は大学の夏休みを利用してサンクト・ペテルブルグに旅行に来ていて、その後はフィンランドへ向かうそうです。偶然僕達がサンクト・ペテルブルグへ行く日と重なっていたのでせっかくだから会いましょうと言う事になりました。教授夫妻は僕の思惑(笑)を理解していてくれたらしく、会って早々、ご飯を食べに連れて行ってくれました。

 僕のこの約半年間のモスクワでの留学生活を教授夫妻に話しながら久しぶりにお腹が一杯になるまで御飯をご馳走になりました。
ほんとに有難うございました!!

 教授夫妻と別れたあと、今日の宿を探しに行きました。アパートは前回の件もう懲りたので安いホテルを探そうと、ガイドブックに載っている安宿ホテル手当たり次第にあたりましたが、ガイドブックとのあまりの料金の違いに落胆させられました。今は夏のシーズン中とは言えガイドブックに書かれている値段とは4倍以上の差の料金のホテルばかりだったので。

 一旦、駅前でアパートを貸すおばさん達の元へ戻って、仕方ないがもう一度アパートを借りようかどうか迷っていると、アパートを貸すおばさんの1人が安いホテルがあるわよと連れて行ってくれました。行ってみるとそのホテルは路地裏に建つまだ建設途中の小さなホテル。新築とあって部屋もきれいで、テレビ、シャワー、トイレもありました。かなりいい感じでした。値段を聞くと1泊1人450ルーブル(約1800円)で今まで探したホテルの中で一番安い値段のホテルでした。
 恐らく今はまだ建設途中で開業はしてないのでテストみたいな感じでお客を入れるので値段が安いのだと思いました。このホテルは街の中心地にあり駅からも近いとあって、モスクワに帰るまでこのホテルに泊まろうと決め、最初に滞在日数分(3日間分)のお金を支払いました。

 サンクト・ペテルブルグ観光でのメインストリートは「ネフスキー大通りで、ロシアの作家ゴーゴリは「ネフスキー大通り以上にすばらしいところはない」と絶賛し、「ネフスキー通り」という作品も書きました。

 またトルストイやドストエフスキーの作品にもこの通りの名前は登場するので、このネフスキー大通りがいかにすばらしい通りであるかわかってもらえると思います。

 この通りには書店、飲食店やお土産物屋などがたくさんあり、夜遅くまで観光客でにぎわっています。

 この通りを進むとサンクト・ペテルブルグ観光での一番の見所でありロシアが世界に誇る超一流の美術館「エルミタージュ国立美術館」へとたどり着きます。イギリスの「大英博物館、フランスの「ルーブル美術館と並ぶこの美術館は1050の部屋数を持ち、窓の数は2000を越え、120もの階段があります。

 この巨大な美術館の中に所蔵されている絵画、彫像、発掘品などのコレクションは300万点以上にのぼります。コレクションの量もさることながら、内容も超一流です。当時の帝政ロシアの権力の凄さにただただ驚くばかりです

 美術館内にはロシアだけでなくドイツ、フランス、スペイン、オランダ、ギリシア、イタリア、インド、中国、日本などなど世界各国の芸術品が展示されており、とにかく全ての展示品に目を奪われてしまいます。ところ狭しと陳列された芸術品をひとつひとつ見ていけば1日どころでは時間が足りません

 学生の入場料はなんと無料なので時間があれば是非何度でも訪れてほしいです。

 僕もできればすべての芸術品を見て回りたかったのですが、時間の関係上一番見たいポイントを絞って見ることにしました。

 そこは3階にある19世紀から20世紀のヨーロッパ芸術を集めた展示室です。

 モネ、ピサロ、ミレー、ルノワールと言った印象派からセザンヌ、ゴッホ、ピカソ、ゴーギャン、ドガ、クルーベの作品が展示されており、特にマチスの大作「ダンス」は是非見てもらいたいです。

 美術の教科書でしか知らなかった画家達の作品を間近に見ることができかなり幸せでした。

 他にはドイツ、ベルギー、アメリカ合衆国などの作品が展示されており、近代の絵画が好きな人なら3階から見て回ったほうがいいと思います。

 全ての作品を見て回ることはできませんでしたが、まさにこの美術館は世界のエルミタージュ美術館であることをあらためて実感しました。

 エルミタージュ美術館の前には「宮殿広場があり広場の中央にはアレクサンドルの円柱が建っています。高さ47.5m、重さ600tのこの円柱は1812年の対ナポレオン戦争の勝利を記念して造られ、完成したのは1843年です。

日露戦争の敗北が遠因となり、1905年、「血の日曜日食物と自由を求める民衆はネフスキー大通りを行進し、ここ宮殿広場第一次ロシア革命を起こしました。
 観光客はこの広場でエルミタージュ美術館をバックに記念撮影をしたり、円柱の下に座って休憩したりしていました。僕も円柱の下に座って休憩しながら今この広場は自由に出入りが出来るけれど、もし時代が違っていたら一部の人間以外は入ることは許されなかったんだろうなと思うとなんだか不思議な気分になりました。
 エルミタージュ美術館の反対側には旧参謀本部凱旋アーチがあり、凱旋アーチの上には馬に引かれる戦車に乗った勝利の女神の像があります。

これもアレクサンドルの円柱と同様に対ナポレオン戦争の勝利を記念して造られました。

ネフスキー大通りから入り、凱旋アーチをくぐってそこから宮殿広場を眺めると最高でした。

 ネフスキー大通りを歩いていると1801年から10年を費やして建てられた聖堂「カザン聖堂が目に入ります。この聖堂が完成した後に、ロシアはナポレオン戦争に勝利しました。聖堂の中にはフランス軍から奪った数本の軍旗が飾られています

エカテリーナ運河の近くにあるのはロシアならではのたまねぎ頭の教会「スパス・ナ・クラヴィー聖堂があります。

 いったいどうやったらこのような形が考えつくのか僕にはわかりません。にしても凄い形の教会です。
 結婚式を終えて広場で記念撮影をしている花嫁さんがいたので僕も一枚撮らせてもらいました。
 この日は3組もの新郎新婦さんを街中や広場で見ました。
ロシアでのスイカオリの中にたくさん詰め込んで、街中のあちらこちらで売られています。

イサク聖堂」は1818年から40年間かけて建築されました。

 高さ101.5m、長さ111.2m、幅97.6mで1万4千人を収容できる世界で3番目に大きな聖堂です。
 サンクト・ペテルブルグに流れる川、ネヴァ川180年間もの間見守ってきた「ロストラの燈台柱は1810年に建てられ高さは32mあります。
 “ロストラ”とは舟首の部分を意味し、敵軍の舟首を切り取り、柱の飾りにして勝利を記念した古代ローマの習慣からきているそうです。

 ネフスキー大通りを歩いていたら偶然にも!?プーチン大統領に会ったので一緒に写真を撮りました。蝋人形ですけど・・。他には俳優のアーノルドシュワルツネッガーもいました。

 詩人プーシキンヨーロッパへ向けて開かれた窓と表現したように、サンクト・ペテルブルグはヨーロッパの建築様式、文化、思想をとり入れた町とあって同じロシアにあってモスクワとはまた違った雰囲気を持つ場所です。またかつての首都としての帝政ペテルブルグ時代の姿もとどめています。

 今回の観光では時間の関係上、残念ながら訪れることの出来なかった場所がたくさんあったので、冬にでも再びサンクト・ペテルブルグを訪れようと思い、モスクワへと戻りました。

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