中国秘境のチベットロード6 リタンのゴンパっす。ダライラマ3世が建てたんだよ〜。ここの僧侶、向秋多吉氏が僕たちを快く迎え入れてくれました。
Photo:三浦氏

第6話 理塘(リタン)

「要不要!要不要!(ヤオプーヤオ!ヤオプーヤオ!)」
途中の村にバスが着くたびに物売りの攻勢だ。
一日に1,2本しか通らないバスに村人たちは駆け寄って、
ひまわりの種やらジュースやらを売ってくる。中国人はひまわりなどの種が大好きで。
ハムスターよろしく僕も例外なくぽりぽり食べていた。慣れるまでは食べるのも難しいが、
毎日のように500g食べていた僕は種食い技術は日本人としてはトップレベルになったと思う。
朝6時に出発したバスはわずか(^^)5時間半で
4000Mのチベット高原のさわやかな町に僕たちを運んでくれた。

町外れのリタン汽車站(チーチャーチャン:バスターミナル)から
僕たちはバックパックを背負って歩きだした。
志村さんは郷城から僕たちが次に向かう康定(カンティエン)にそのままここで降りずに向かった。
三浦、浜崎、僕の3人はバックパックを担いで宿探しに出かけた。
ここリタンはチベットのカム地方で比較的自然にも恵まれ、
かつ住民をカムパと言い背が高く勇壮なことで有名である。
頭に赤や黒のターバンを巻き、腰に短刀をつけた荒っぽくて気が短いことで有名らしい。

「ここにしましょうか?」
大通りをまっすぐに歩き、大きな三叉路に面する
理粮賓館(リーニャンピングァン)に泊まる事になった。
4人部屋15元(180円)/人、3人部屋20元(240円)/人。シャワーなし。
僕たちは3人だったが、シェアしてもいいと言って4人部屋に泊まった。


ところが!
まさかと言うかやはりと言うか、一人が来てしまった。中国人。
しかし、そこまではいい。
だが、あやしかった。かなり。入ってきたかと思うと挨拶ないのはまぁいいとして、
そのままふとんに入って寝てしまった。服を着てそのまま。
しかも彼は何も荷物を持っていない。年は20歳前後だろうか。
何をたくらんでいるのか?泥棒?スパイ(^^)?それともただの兄ちゃん?それにしてもナゼ手ぶら?

僕たちは5元(60円)をケチったことを後悔し、
鍵を閉めてもこのままバックパックをこの部屋においておくのはあまりにリスキーと言うことで
3人部屋へと移った。そこはTV(あんまり綺麗に映らないが)もあり、なによりも安心できた。
う〜ん、彼は一体なんなのか?
疑問は解決しないまま(よくあることだが(^^))メシを食いに出かけた。
ここリタンでも浜崎さんの人気は抜群!どうも彼はチベタンにもてるらしい。
わらわらと浜崎さんのところに集まってくる。
浅黒く焼けた彼の顔がチベタンに親しみを与えているのだろうか?

次の日、仲良くなったフロントのお姉ちゃんから頼み事をされた。
看板を書いて欲しいとのこと。日本語で。
僕たちは紙と定規とポスターカラーを手に書き上げた。数時間かかっただろうか?
隣のカラオケバーでチベタン兄ちゃんたちが
あまり上手くない(^^)歌声を張り上げながら歌っている横でもくもくと書いた。
ここらへん日本人だね〜(^^)
「なかなかいいっすね。これ(^^)」
我ながらよい出来だと満足した僕たちは彼女に渡した。
「謝謝(^^)」
かくしてリタン初の日本語看板が理粮賓館に掲げられた。

リタンの草原は町のすぐそばに迫っている。
大草原の上に浮かぶ雲は手を伸ばせば届きそうな距離にあるみたいだ。
馬やヤクが群れをなし、またはめいめいに草を食んでいる。
ヤクの大群がリタンの大通りを闊歩している。チベット人はこのヤクとともに生きている。
ヤクのミルクからバター、チーズ、ヨーグルト、油。糞を燃料や家の壁の補強材として使う。
毛皮としても使う。万能選手のヤクだ。チベタンは体臭と言うか香水(^^)と言うか、
なんせヤクの匂いがするんだよね〜。

更に問題!水道の水が出ない!!
この辺りは水が出ることをあまり期待できない。シャワーはないのでお湯をたらいに入れ、
井戸で汲まれた水を混ぜてぬるま湯を作り、それを使って体を拭いた。
また、県電力公司でホットシャワーがあると言うことを聞き、僕たちは幻ののホットシャワーを求め探し回った(^^)
ようやく見つかったシャワーはさいこ〜だった(^^)外国人5元。地元人4元。


至福に埋もれながら僕たちは次なる康定へのバスの情報を聞いた。
聞き間違いと信じたい、朝4:30出発(^^;)



ASIAZACCA
Copyright (C) 2001 ASIAZACCA. All Rights Reserved.(禁転用)