中国秘境のチベットロード3

Photo:三浦氏

第3話 中甸(ジョンディエン)

 2400Mの麗江から中甸までは約1000Mを駆け上る。

 ミニバスに乗った三浦さんと僕は広葉樹林から針葉樹林、
そして高山植物のみしか生 えないチベット地区まで流れゆく景色を見ながら、
興奮を高めていった。 “タルチョですよ!”“本当ですね。来ましたね、とうとう!”
タルチョとはチベットの家や峠などにはためく旗で、旗がはためくごとに風が
仏法を 世界中に広めてくれることを祈願したものだ。これがあると言うことは、
チベット圏 に入ったということだ。 草原の中にぽつんと現れたタルチョに従うように、
チベットの民家が現れた。漢民族 のそれとはまったく違う造りの民家で、粗末な造りだ。
3色ほどのストライプの模様 がペインティングされている。

 広場に着いたバスを降り、僕達は町の南にあるチベットホテルへ向かう。
ここからは 高山病に注意をしないといけない。漢化されつつある中央通を
ゆっくりバックパック を背負い歩き続け、ホテルに着いた。服務員小姐はチベット人だ。
民族衣装を身に 着け明るく愛想がよい。 僕達はドミトリーに泊まることになった。
“筒井さん!”“あら!?まだ居たん?なにしてんの、こんなとこで?”
“いやぁ、 風邪引いて動けなかったんですよ” 麗江で先にチベットにむけ出発したはずの
種本さんが声をかけてきた。彼は僕らとは 違うルートでラサを目指す。
次は徳欽(ドォチン)へ行くと言う。同室にはもう一 人、日本人がいた。
彼の名は“浜崎”。29歳で会社を辞めて旅行に出てきたばかりだ と言う。
彼もチベットに向かう。ルートは僕達と途中までは同じだ。 “じゃ、メシでも行きますか”

 僕達は散歩がてら、中央通を歩いて夕飯を食べるところを探した。
町はチベット人と 漢民族が入り乱れて歩いている。僕達は目に付いた百貨店に入った。
そこは僕が最初 に来た4年前(注、1995年)の中国と同じように、品物が少ない。
ショーケースの中 にも申し訳程度にしか並べられてない。服務員の女性も全く売る気がない。
2階建て だがエスカレーターは止まっている。なんの意味があるのだろうか。
“これだよ、これ!” 僕は懐かしく、心の中で叫んだ。良いのか悪いのかは別として、
初めて訪れた中国を 思い出した。雲南省も今はすっかり変わって、服務員もやる気マンマンで、
豊富にも のもある。 “見てくださいよ,これ” 三浦さんが示したのは、ポテトチップスだ。
何の変哲もないお菓子だが、袋がパンパ ンになっている。他のお菓子も全てパンパンになっている。
これは気圧の低下によっ て起こるものだが、これにより高地であることを再認識した。
僕の時計はカシオのプロトレックで標高、気圧、温度、方位が表示される。
気圧はど れだけだったかは忘れたが、これが台風やったらえらいことになってる
数字を出して いたのは覚えている。しかし、これはまだ始まりだった。

 “火鍋ありますよ、食いましょうか” 四川料理の名物で
英語名モンゴリアンホットポットというプロレスの技のような名前 だ。
鍋なんだが、とにかく辛い!想像以上に辛い。辛い料理は好きで慣れていた僕だが、 これには参った。
野菜,肉などをガンガン入れ調子に乗ってビールを飲んだ。
中甸 は松茸の中国一の産地で夏ごろにはたくさん取れるらしい。
しかし、中華料理になる ので、日本のような淡い味わいは楽しめないと言うことだ。
高地では空気が薄い分酔い易い、また肺に負担がかかるため、
タバコも控えるように といろんな人から忠告を受けていたが、
チベットに来た嬉しさからどちらもやってし まった。 しかし、思った以上に普通で、
僕は高地に強いのかとまで思ってしまった。もっと も、大理,麗江という2000Mオーバーの土地で
2週間居たからある程度は慣れている のだろう。

 ここで問題が2つ発生した。 1つ目は三浦さんのビザが切れる。
しかしこれは延長で対応できる。 2つ目は次の目的地、四川省郷城
外国人未開放地域だと言うことだ。行くには許可 証が必要だ。
これも公安で50元(600円)払えば下りるが、中国人は行けるんだから と言うことで、
僕が中国語でバスチケットを買うことにした。
練習も兼ね麗江で買った変装セットを身につけ、チケット売り場に行った。

 “シャンチョン、サンガレン!(郷城、3人)” 中国人のまねをしてだるそうに、早口で言った。
すると、服務員は “ニーシー ワイクオレン マ?(あんたは外国人か)”
“プーシー ウォーシー  ジョンクオレン ア!(違う、俺は中国人や!)”
やばい!ばれたか!その時、中国人の兄ちゃんが横から割り込んできた。
中国人はよ くする。 “フーウーユエン!ドォチン イーガレン(服務員!徳欽、一人)”
“トンイーシャ (ちょっと待ちな)” 服務員はその兄ちゃんに気をそらされたのか、
それ以上僕になにも聞かず3人分チ ケットを売ってくれた。 その兄ちゃんは種本さんだった。
ナイスアシスト! 僕自身、なんやねんこいつ!と思ったほど中国人完コピだった。
まだまだ僕は修行が 足りない。 郷城まで一人45元(200円)なり。

 その帰り道、解放軍のロングコートを羽織った種本さんは、“まだまだですね。”と 言ったかと思うと、
工事現場の土山に転がり始めた。ごろんごろん。“これでマシに なりました。”
そこまでするか。僕達は若い彼を羨ましく思った。買ったばかりの彼のコートは真新しく、
中国人が着ているコートに比べて綺麗過ぎるので、彼はわざと汚れをつけたのであった。

 次の日の朝7時、バスは出る。 チベットの本を譲ってくれた日本人の言葉。
“チベット行った事ある?あそこはなんでもありだよ。
俺も最初行った時はいっぱい 驚くことあったな。”
それをこのバスターミナルで早速、明日体験できることになるとは知る由もなかっ た。

注)
服務員:サービス員。売り場、ホテル、レストランなどで働く人。
男も女もどちらで も使える言葉。

小姐(シャオジエ):けっしてコギャルではない。結婚してない女の子を呼ぶ時の言 葉。
若い子だとこちらを使う。たまにおばさんに使うと喜ぶ時もある。

徳欽:中甸の北にある町。チベット名ジョル。これより北は未開放地区。
またこれよ り北はバスがない。ヒッチのみでラサに行かないといけない。

未開放地区:辺境部は軍事的、民族的政策から外国人の自由旅行が許されてない。
近 年は大部分が開放されてきているが、
チベット周辺はチベットと中国の対立があり政 治的に難しい場所である。
それだけ、昔の面影が残っており、人々もすれてなく僕達 には魅力的な場所でもある。

郷城:四川省甘孜(ガンゼ)チベット族自治州と雲南省の省界の町。
殆どチベット人 が住む。詳しくは次回。
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