中国秘境のチベットロード1

Photo:三浦氏

 
最初、僕はチベットへは行く予定ではなかった。ある人とある本がきっかけだった。



第1話 大理(ターリ)〜麗江(リージャン)

 僕はいつものようにドミトリーの一室でマージャンをしていた。
日本ではあまりしな いが、旅行中で観光をするわけでもなく
毎日だらだらと時間をつぶしている同じよう な日本人と一緒だとしたくなる。
彼はそんなある日、夜行バスでやってきた。
痩せていてめがねをかけており、旅なれた感じだった。

 “ごめんなさいね。うるさいでしょ。”“いいですよ、慣れています から。”
“マージャンしますか?”“いや、僕できないんで”それが最初の会話だっ た。
隣のベットにやってきた彼の名は“三浦”、建築家でアイデアを求める為にも旅行を していると言う。
29歳だった。3週間ほど前神戸から船で上海、陸路で西安へ行 き、
南下して昆明を経由して大理までやってきた。陸路でアフリカまで行くと言う。
ここからは彼の古い友人が研究の為住んでいる麗江へ行き、
昆明へ戻り列車とバスで ラサに向かう予定との事だった。
僕は中国も3回目で2ヶ月陽朔に居た為、ビザが切れそうになっていた。
これから は、南下して西双版納からラオス、タイに抜けようと思っていた。
中華料理にも飽きてき て、辛いタイ料理と西洋文化の味がする
ファーストフードを食べてみたいと思うよう になっていた頃だった。

 転機はある日やってきた。 彼はマージャンと賭け事が嫌いなので、
賭けずにドミトリーの旅行者と中国版大富豪をした後だった。
同室の日本人が旅行人ノートのチベット編を取り出して、
“これ安く譲るけど、買わ ない?”“いくらですか?”“80元でどう?”
“そうですねぇ” 日本円で1000円だが、前のマージャンで勝っていたこともあり、
また読み物としても 面白そうだったので僕は買うことにした。
三浦さんは高いと言うことで買わないと言って いる。
読むと大理〜ラサの陸路での詳細なルート情報が載っている。
このルートは旅行者の 憧れで、また中国政府の許可が下りていない
非合法のルートだったので以前から気に はなっていたが、
実行する気にはなれなかった。だが、読んでいる内に現実味を帯び、
また僕の冒険心が芽生えてきた。 “三浦さん、すごいっすよこの本。行けそうですよ、陸路でラサ。”
“本当ですね。 筒井さん、行きたくなってきたでしょ。一緒に行きましょうよ。”
誘惑に弱い僕はその一言で行くことを決めた。
ルートは何時もこんな風にコロコロ変 ってしまう。今に始まったことじゃないのだが。

僕達は麗江行きのバスチケットを取った。

注)
大理:雲南省少数民族白(パイ)族の自治州。雲南省一のバックパッカー集積地。
最近の政策の一環で観光地化が進む。昔の面影は 徐々に消えていっている。

麗江:雲南省少数民族ナシ族の自治県。世界遺産に指定されている明代の町並みが現存。
5年前、地震で一部壊れるも町並みは変らず。ただ、観光地化の波はここにも襲 いかかっている。

昆明(クンミン):雲南省の省都。漢民族の街で他の大都市と雰囲気は同じ。
日々高層ビルが増え続けている。春城と呼ばれ1500Mの高地にある常春の気候。

陽朔(ヤンシュオ):広西壮(チワン)族自治区、桂林(クイリン)の南にある町。
西洋人バックパッカーの集積地。通りにはCAFEが30件ほど立ち並び、
従業員の 殆どが流暢な英語を話す。水墨画の風景の中にある町。
中国人のNO2人気観光地。

西双版納(シースヮンパンナ):雲南省少数民族タイ族の自治州。タイ族の故郷。
熱帯気候でラオス、ミャンマーと国境を接する。タイ族が巻きスカートを穿き、町を歩く。
州都、景洪(ジンホン)は漢化が進み中国の大都市に発展中。近くにはメコン川 が流れる。

ラサ:西蔵(シーツァン)チベット人自治区の区都。標高3500Mにあり、一日に四季が訪れる。
チベット人の聖都。ラサ市は漢化が進み、旧市街にのみ面影が残る。


旅行人、旅行人ノート:バックパッカーの教祖、蔵前仁一氏が率いる出版会社。
そこが 発行しているバックパッカー向けの雑誌、情報ノート。
特にチベット編(アマゾン)は詳しすぎて 軍事機密に関わると中国政府から目がつけられていると噂されている。

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