YUTAのモスクワ留学はちゃめちゃ通信
2004年1月(最終号)
 12月31日の大晦日の夜は「赤の広場」へ行って来ました。
 去年はあまりに人が多く、入場制限があったとの事で少し早めに「赤の広場」へと行きました。やはりというかテロの可能性があるかもしれないので(最近、赤の広場近くでテロがありました。)一人ずつ空港のセキュリティチェックで通るような金属探知機を通らされ、荷物チェックもありました。それも「赤の広場」へ向かう前にも通りで警察官が検問を張っていて、その度にボディチェックがあり、かなりの厳戒態勢でした。おまけに外国人の僕たちはパスポートを見せなければなりませんでした。

なんとか「赤の広場」の中に入ると、大人から子供まで新年の瞬間をみんなで祝おうと大勢の人達が集まっていました。
 何人かのロシア人が個人で持って来た半端じゃない大きさの打ち上げ花火を「赤の広場」の中で打ち上げていました。あまりに大きい音なので、花火なのかテロなのか分からないほどでした。この中に入るまでに何回も検査があったのに、なぜ打ち上げ花火は持ち込めるのか分かりませんでした。今までに見たことのないほど大勢の警察官がこの日のために動員され、警備していたのですが誰一人として打ち上げ花火に対し注意していませんでした。花火ではなくほんとのテロの爆発音だったらどうすんでしょう???
 赤の広場には10月号で紹介しています「レーニン廟」があり、ここにめがけて花火を打っている輩もいました。人に向けて打っているバカな奴もいました。周りには大勢の人がいるのにほんとに危なかったです。

年の明ける数分前に毎年恒例のプーチン大統領の演説(と言っても本人は現れずクレムリン内からの中継)が大画面で流れ、演説が終了した後、2004年の年が明けました!!
 年が明けた瞬間に、ここで国が準備した本物の打ち上げ花火が上がりました。
 外国で年を越すのは初めての経験だったのですが、どこの国でも新年の瞬間はみんな幸せな気分になるものなんだと分かりました。ロシアでは新年のお祝いにシャンパンを飲むのですが、帰りの地下鉄でロシア人の団体が電車の中でシャンパンを開けてみんなで飲んでいました。みんな用意がよく(笑)各自コップも持参していました
 (この時はカメラを持っていかなかったので関係のない画像ですみません。この画像はロシアの偉大な革命詩人ウラジーミル・マヤコフスキーの銅像です。)

 明けましておめでとうございます!今年もよろしくお願い致します!!                              2004年 元旦

 年が明けた元旦11から6月号と11月号で紹介しております「ボリショイサーカス」に行ってきました。演目も新しい年の幕開けにふさわしい凝った演出でした。今月7日はロシア正教のクリスマスなのでロシアのお祭り気分はまだ続きます。(これも関係のない画像ですみません・・。)
 次の日の1月2日には12月号で紹介しています、チャイコフスキー国際音楽コンクールで有名なコンセルヴァトーリヤ」へと行ってきました。今回の演目は毎年恒例の年明け「ニューイヤーコンサート」と言うこともあるのですが、ロシア音楽の殿堂と言うべきここのコンサートホールで今回メインの指揮を務めるのが、なんと日本人の女性の方でした。12月号で紹介しています「コンセルヴァトーリヤ」の場所は「小ホール」の方なのですが、今回のニューイヤーコンサートは1725人収容できるメインの「大ホール」で行われました。

メイン指揮者を務める日本人の方の名前は「西本智美」さんと言い、むかし日本のCMに出演していたり、たびたびテレビ雑誌等で特集されていたりもする日本でも大変有名な女性指揮者の方です。

 お客さんの入りは想像していた以上に多く、1725人収容のホールはほぼ満員でした。また日本人のお客さんの姿もちらほら見られ、彼女の人気の凄さがあらためて分かりました。

演奏が始まると1曲目から鳥肌が立つほど素晴らしかったです!ロシアの超一流の楽団を日本人の女性が纏め上げるのは観ていて壮快でした。ほんとカッコ良かったです!!彼女の指揮は男性指揮者に負けず劣らずとても力強くて激しく、僕は一番安いチケットである100ルーブル(約400円)の席の最後列の席だったのですが、彼女の指揮の熱気は充分伝わってきました。

新年早々感動させてもらいました。
 2003年の4月から地道にコツコツと作ってきました「YUTAのモスクワ留学はちゃめちゃ通信」のHPですが、このたびロシア関係最大手のサイトである「ロシアンぴろしき」さん(http://www.rosianotomo.com)の HPにリンクと言う形で、僕のこのHPを紹介させて頂くこととなりました。ほんとに光栄な事です!!

こちらのHPロシア音楽や映画などのロシア関係のありとあらゆる情報が紹介されており、日本でも大ブレイクしたあの...」(タトゥー)を日本でいち早く紹介し、またブレイクするきっかけを作ったのがこちらのHPです。

「ロシアンぴろしき」のTOPぺージにあります「苦難の留学生日記」のサイトで僕のHPが紹介されております。是非ご覧下さい!!

 また「ロシアンぴろしき」さんが携わった「t...y」(タトゥー)関連の本がこのほど日本で出版されました。

t.A.T.u.の意味
―オール・ザ・シングス・シー・セッド

1月7日のロシア正教のクリスマスも過ぎ、ロシアの人々もやっと年末から続いていたお祭り気分から抜け出したようでした。

 大学の授業は1月8日から始まり、月末に行われるテストへ向けて勉強の日々が続きます。僕のクラスの最終テストは今月20日に行われるのですが、それが終わるといよいよ日本へと帰国します。モスクワ留学生活も残りあとわずかです。日本帰国までいよいよカウントダウンが始まりました。
 最近やっとモスクワらしい気温となり、マイナス10度近くまで下がる日が多くなってきました。ですが、去年の今頃に比べるとまだまだ暖かいそうです・・・。

留学日記の更新が大変遅れてしまっていてほんと申し訳ありませんでした。m(_ _)

 今日から少しずつ更新していきますのでどうぞ宜しくお願い致します。

僕らのクラスで週に一時間だけ地理と歴史の授業を担当しているイリーナ先生が、僕があと少しで日本に帰ることを話すと、是非今度家にいらっしゃいと先生の家に招待してくれました。

先生は以前から日本の文化や歴史に大変興味を持っていて、たまに授業そっちのけで先生が日本について疑問に思っている事(松尾芭蕉の生い立ちや日本の原子力発電所の数についてなど)を僕に投げかけてきて、僕はそれら質問の答えに困ってしまうことも多々ありましたが、大変楽しい授業でした。先生はある意味僕より日本について詳しかったです(笑)。

先生の家は大学から歩いていけるほどの距離にあり、僕は前の日に最近モスクワに出来た日本の100円ショップ(11月号をご覧下さい。)で日本のお箸やお茶碗を購入し、娘さんが2人いるということなので日本から持ってきたキティちゃんグッズなどを用意し、当日は近所のケーキ屋さんでケーキを買って先生の家へと向かいました。

先生の家はロシアの一般的な家庭が住む団地のようなところでしたが、家の中に入って日本の一般家庭にもそうはないほどの大きなテレビやソファーがあるのに驚かされました。今まで何度かロシア人のお家には入りましたがこれほどの家は初めてでした。これがロシアの富裕層の家庭なんだろうな思いました。

早速、僕が持ってきたお土産を手渡すと、先生もお嬢さんも大変喜んでくれえました。そのあと、先生が手作りで用意してくれた豪華イクラ付きの御飯を御馳走になっていると旦那さんが帰ってきました。旦那さんは色んな国を飛び回っているビジネスマンらしく、それは金持ちの家庭なのもうなずけました。車はロシア人には珍しい外車のジープに乗っていましたし。

最後には今は飾り物で昔は台所でホウキとして使用していたロシアの民芸品(広島土産のしゃもじのようなもの)を頂き、帰りは大学の寮まで旦那さんの車で送ってもらいました。

ロシア人の先生のお家に招待されたのは初めてだったのでとてもうれしく帰国直前に良い思い出が出来ました。

深くて暗くて汚いのがロシアの一般的な地下鉄でしたが、最近一部の路線では車両がきれいな造りになっており、車内も電気表示になっているなど日本では当たり前のことなのですが初めこの路線に乗った時はビックリしました。

大学の授業もいよいよ大詰めに入り、学内はテスト週間へと突入しました。僕は日本でもしたことのないくらい真面目にテスト勉強に励み、またこの時期は日本の大学に提出しなければならないレポートもあったので、ほんときつかったです・・・。ですがレポートもなんとか無事書き上げ、テストも全ての科目で合格点をもらうことができました。

(左の画像が先生に合格のサインを記入してもらっている画像です。)

いくつかある授業の中でも“会話と文法”この二つの授業を担当してもらった二人の先生には特にお世話になったので、クラスメート全員で相談した結果、みんなでお金を出し合い、これまでのお礼の気持ちを込めて花束とケーキを買うことにしました。

これらお礼の気持ちを各先生の最後の授業の時にプレゼントすると大変喜んでもらえ、この案を出した発起人の僕としてはホッとしました。

最後の授業では先生を含めたクラスメート全員で教室内でのささやかなパーティーをし、来期からはまた新しいクラス編成になってみなバラバラになってしまうので、今まで毎日のように顔をあわせていたクラスメート全員が互いに少しさびしい気持ちになりました。特に僕はもう日本に帰国するのでこのクラスがロシア留学での最後のクラスとなる為、最後の授業は特に感慨深いものでした。

最後の授業のあと、クラスメートである元韓国の校長先生であったおじいさんの奥さんがこの時期韓国から旦那さんに会いにロシアへと来ているらしく、聞くと奥さんはプロのカメラマンということで、最後の記念に奥さんに写真を撮ってもらおうという事となりました。そして授業のあと奥さんにわざわざ学校へと来てもらい、クラスメート全員の写真を撮ってもらいました。

僕は韓国人のおじいさんバーニャ君(愛称)とは特に仲が良く、僕が韓国の家庭のキムチが食べたいと常日頃言っていたので、最後の日にはバーニャ君から大きな瓶一杯のキムチと韓国ノリとたくあん、そして箱一杯に詰め込まれた白い御飯を頂きました。あまりの量の多さに一人では食べきれなかったので友達と一緒に食べることにしました。

 留学生活10ヶ月間を通して言える事は、僕はほんとクラスメートに恵まれたと思います。クラスが変わったり、母国へと帰ってしまった元クラスメート達の多くとも依然として連絡を取り合っていますし、このロシア留学を機に一生の友人たちが出来たと思います。

怒涛だったテスト期間が終わると学生たちはみな緊張感が一気に解け、寮内では毎晩のようにパーティーが開かれました。

 僕も授業もテストも全て終了し、いよいよ来週の帰国の日を待つだけとなり、残りの日程はロシア生活でお世話になった方々への挨拶回りや、他の学生たちと同様、僕も寮内でのパーティーに毎晩のように参加しました。1日に2回という強行日程のパーティーもあって、毎晩夜遅くまで遊んでしまい寝不足の日々が続きました(笑)。

ほんとにもうこの長かったロシアでの生活が終わるんだと思うと、残り1日1日がとても名残惜しく感じました。

 ここで僕がロシア留学中、大変参考になった本、雑誌を紹介します。本は“ヨーロッパカルチャーガイドB『新生ロシア』のいまどき生活”です。この本にはロシア人の意識や生活スタイルが分かり易く説明されており、劇場等の娯楽施設の解説、そしてロシアのサッカーチーム人気の音楽バンドなども写真付きで紹介されています。

雑誌は「ДОСУГ」(ダスーグ)と言う最新のロシア情報が詰まった雑誌で、モスクワでのコンサートの公演日程やチケットの値段、そしてテレビ欄まで載っており日本で言う「ぴあ」みたいな感じだと思います。表紙にも世界的に有名な芸能人が数多く登場し、昔のロシアには無かった感じの雑誌です。写真が多く見やすいのも特徴で、駅前の売店等で週に一度発売されています。前面カラーで30ルーブル(約120円)と安いのも人気の1つで、僕が留学中に幾度となく足を運んだコンサートの多くはこの雑誌から情報を得たものがほとんどです。

 いよいよ日本帰国の前日となり、留学中ずっと生活をしていた寮の部屋のあと片付けをしながら、長いようで短かったこれまでのモスクワ留学生活の事を想い出していました。この寮の部屋もそうで、想像以上に狭く汚かった部屋に学生4人で共同生活をし、夏の間は一ヶ月間もお湯が止められてしまいずっと水シャワーだったり、冬の間は窓が壊れているので冷気が容赦なく部屋に入ってきては死ぬほど寒かったりなどと凄まじい生活を送っていました。部屋にはもちろんテレビはなく、暇な時はずっとラジカセのラジオを聴いていました。

留学生活の後半で部屋の住人全員でお金を出し合い、やっとのこと部屋に共同電話を取り付けたときは携帯電話も持っていなかった僕はほんと感動モノでした。しかし度々電話コードの配線が壊れるので、僕がいつもアルミホイルを巻き付けて修復していました(笑)。  

 現在の日本ではありえない話ばかりですが、今想えば日本ではそう出来ることのない素晴らしい??数々の体験ができ、留学前より精神的に数段タフになったと思います。

寮での生活もそうですが、やはり「ロシア」という国で長期に渡り生活をするのはかなりの精神力体力が必要だと思います。日本の感覚で生活をしようものなら間違いなくもちません。僕のこのロシア留学HPでは、ロシアの良い部分をクローズアップして紹介してきたので御覧頂いた方々はロシアに対するイメージが多少良く変わったかもしれません。

   しかし、ソ連が崩壊し十数年が経ってなお、治安の悪さや貧富の格差は広がるばかりでやはり日本人が気軽に旅行、生活するのはまだまだ先のことだと思います。それにロシア人のアジア人に対する偏見の目が全く無いとも言い切れません。HPでは書いていない危険な事もロシア留学中周りで多々あったのも事実です。
 「ロシア」と言う国はほんとこれからの国だと思います。今日本の企業の間では「ロシア」がポスト中国としてのビジネスチャンスの場になるであろうと見ており、強固なプーチン政権のもと、石油等の豊富な資源を持ち労働者の賃金の安さも手伝って日本企業は今どんどんロシア地域に進出してきています
 人々の意識も変わりつつあり、今までモスクワから東(アジア方面)には全く興味の無かった多くのロシア人がアジア地域、特に日本に関心を抱いてきており、こうした日露間の意識の改革で両国は今後さらなる発展につながり、色々な意味で「ロシア」は今後さらなる魅力的な国になっていくであろうと僕は思います!!
 最後に留学中ずっと続いたこの「YUTAのモスクワ留学はちゃめちゃ通信」を飽きもせず御覧頂き有難うございました!!留学日記を書いている本人もこんなにも長期間書き続けるとは思っても見ませんでした。
 HPが予想以上に好評を博し、大変驚いていると共に頑張って書いてきた甲斐がほんとありました。願いとしてはこのHPを見て頂いた方々が良くも悪くもロシアに対する関心を少しでも持って頂き、あわよくばこのHPをロシア旅行や留学する時の参考資料のひとつにでもしていただければ、地道にHP製作を続けてきた者としてはこんなにもうれしい事はありません。
そして僕のこの留学生活に携わっていただいた全ての方々に、心より感謝致します。
有難うござました!!スパシーバ!!


平成16年6月27日(日)
YUTA


・・・・実はまだ「ムールマンスク番外編」が残っているので更新お楽しみに!!
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