YUTAのモスクワ留学はちゃめちゃ通信
番外編「オーロラに魅せられて・ムールマンスクへの旅2004」

 年明けは大学の授業も休みなので、ロシア留学中の最後の旅へと向かうことにしました。旅の目的地である“ムールマンスク”はモスクワ市から北方に位置しており、北緯69度にまたがっている北極圏に入る町です。夏の数ヶ月間は日没のない、いわゆる“白夜”の状態が続き、逆に冬は2ヶ月間に及ぶ闇が町を覆い、漆黒の空に時折「オーロラ」が姿を現します。そう、この旅の目的は生まれてからまだ一度も見たことがない神秘の「オーロラ」を見に行くことでした。

期間は2004年1月4日から6日までの2泊3日の旅で、電車だと片道だけで丸2日掛かってしまうため、多少お金は掛かりますが飛行機で行くことにしました。飛行機だと国内線アエロフロートを使い、約2時間半で到着します。1月4日のお昼にモスクワにあります国内線専用空港から出発し、夕方近くには北極圏の町“ムールマンスク”へと到着しました。

 到着した瞬間、色んな意味である程度は覚悟していましたが、空港付近にも関わらずあたりは真っ暗闇で最初ここは地獄か?と思うほど町は寒さと暗闇に支配されていました。この時の気温はマイナス20度でした。ちなみに出発地であるモスクワはこの時マイナス4度ほどでした。息をするたび肺がめちゃくちゃ痛くて、こんなことはモスクワでも体験したことはありませんでした。

空港は中心街から大変遠く40キロ以上も離れた所にあるので、僕はどうやって行こうかと空港出口付近で考えていると、向かう飛行機の中で偶然隣に座っていたおばさんが「市街までタクシーは高いから私と一緒に安いバスで行きましょう。」と声を掛けてくれました。

 機内でおばさんとは挨拶程度だけでほとんど会話を交わさなかったのですが、困っている僕を見てやさしく声を掛けてきてくれました。
 市街へと向かうバスの中でおばさんとじっくり話をすると、おばさんは一人で“タイ”へ旅行をした帰りだそうで、今日家のある“ムールマンスク”へと帰ってきたのだそうです。今ロシア人の間では海外旅行、とりわけ“タイ”に行くのが一種のブームのようになっていて、一昔前の日本人にとってのハワイ旅行みたいなものだと思います。

40分ほどで市街につくと毎回恒例の宿探しをするのですが、おばさんが近辺のホテルをよく知っているからとわざわざ連れて行ってくれました。おばさんの手助けもあって、街の中心地にある「アルティカ」という名のホテルに旅の間泊まることにしました。

 もしおばさんと出会わなければマイナス20度近い街中を歩き回ってホテル探しをしなくてはいけなかったので、それをと考えるとゾッとしました。(僕の旅は毎回こんな感じですが・・笑。)

ホテルは1泊790ルーブル(約3160円)で、先に宿泊する2泊分の1580ルーブル(約6320円)をフロントに支払いました。

 ホテルまで案内してくれたおばさんにお礼を言って別れると僕は部屋で少し休憩した後、ホテル内のレストランで夕食も兼ねた「オーロラ」についての情報収集に向かいました。

レストランで現地の人達に「オーロラ」について尋ねると「オーロラ」は最近だと見えて週に1度くらいで、見える時間帯もその時によって違うと言うものでした。またよく見えるポイントもこれと言って特に無く、郊外でなくても街の中心部からでも充分見えるというものでした。

 某ガイドブックにはこの時期は3日に2回の割合で「オーロラ」が現れ、時間帯は真夜中から明け方が中心と書いており、市街よりも郊外の方が良く見えると書いていました。

おまけに「オーロラ」は気温マイナス30度近くにまでならないと見えないとまで書かれてました。(この日はマイナス20度)

 現地の人の話とガイドブックの内容が全然違うので最初迷いましたが、所詮ガイドブックに書いていることなんてあてにならないだろうと思い、それを確信付けたのがこのあと起こる素晴らしい出来事でした。

夕食を済ませ、さあ今から「オーロラ」を見に行くか!と外に出ました。この時も気温はマイナス20度ほどでしたが風が強かった為、体感温度はもっと低かったと思います。驚いたことに街の人達は意外に薄着でマフラーをしているのは僕だけでした。ですがさすがに殆どの人達がニット帽を被っており、ほんと帽子がないと寒さで頭が割れそうになります・・。「オーロラ」を見る為タクシーを1時間ほどチャーターして郊外にでも行こうかと思っていたその時です!寒さに震えながらホテルの入り口前でふと空を見上げると、ふわっと漆黒の空に「オーロラ」が現れました。

 あまりの唐突さに一瞬体が硬直してしまい、しばらくの間呆然と空を見上げていました。レストランで聞いた通りまさに街の中心部から見え、マイナス20度でも「オーロラ」は姿を現してくれました。そして週に1度しか「オーロラ」は見えないと聞いていたので、それが今日この日だったんだと思うと感動はひとしおでした。まさにカーテンのような緑色の見事な「オーロラ」でした。
 それも「オーロラ」が見えている時間は30分から2時間の間だけと言われているので、ホテルの外に出た瞬間に見れたのはほんと超ラッキーでした!!念のため歩いていた兄ちゃんに「これってオーロラですか?」と聞くと兄ちゃんは空を見上げ、「ああそうだよ。」とやはり現地の人だからか「オーロラ」対し特別なにも珍しくないように歩き去っていきました
 前の2枚を見て写真真っ黒じゃん!!と思われるかもしれませんが写真中央にうっすらと緑色の「オーロラ」が写っています。期待させておいてこんな画像で大変申し訳ありません。あまりの感動にカメラを撮るのが遅れてしまい、それ以上に気温が低すぎてデジタルカメラがあまり起動せず、また市販のものだと「オーロラ」を鮮明に撮ることは困難でした。なので、現地で買った「オーロラ」のポストカードの画像を御覧下さい。すいません・・。

さあもう充分「オーロラ」を堪能したことだしと、大満足で部屋に戻ることにしました。週に1度と言われていたのが、幸運にも初日から見ることができたことに感謝しながらも残りあと2日も滞在が残っていました。ムールマンスクは「オーロラ」以外にこれといって見る所もないので。。。

 体の調子が気になりつつ、気温が急に下がったのだからだろうとそれほど気にはせず、その日はこれで就寝しました。

ムールマンスク滞在2日目

 前日の悪い予感が的中してしまい、やはり「オーロラ」を見るため長い間外にいたのが原因なのか“風邪”を引いてしまいました。頭とのどは痛く寒気が続き、完璧に“風邪”を引いてしまいました。まさか“風邪”を引くとは思っても見なかったので薬などは持ってきておらず、それでも何かないかとカバンの中を探した挙句、偶然カバンのポケットの中に胃腸薬の“パンシロン”がありました。一応これも薬には違いないしこれでも飲んどおこうとフラフラの体で“パンシロン”を飲みました。

しかし、やはり胃腸薬なんで特に効き目はなく、「オーロラ」も見たことだしこのままベッドで寝ていようかなと思いましたが、せっかく旅行に来たのにもったいない!と自分の体に言い聞かしてベッドを飛び起き、氷点下の街へと観光に出かけました。

 この時期は太陽の光がほとんどなく、朝はなかなか日が出て来ないし昼過ぎにはもう暗くなってしまいます。

 なので暗くなる前にと、これ以上体が悪くならないようマフラーニット帽を身に付け、体中にカイロを貼り、完璧防寒着で外へと出ました。
 前にも書きましたように“ムールマンスク”には「オーロラ」以外にこれといってないので、とりあえず街に面している“コーラ湾”へと向かいました。
 “ムールマンスク”は戦争における戦略的重要地域から歴史の荒波を幾度も経験しました。1942年のナチス・ドイツのソ連侵攻では大爆撃を受けてしまい、町は壊滅的状態となりました。しかし、ムールマンスクの人々は果敢な抵抗を続け、英米からの武器提供の基点として第2次大戦の戦局転換に大きな役割を果たすなどロシアの歴史的にも大変重要な町です。また世界中で問題となった、原子力潜水艦「クールスク」が引き上げられた町でもあり、潜水艦沈没事故により乗組員118人全員が死亡してしまうという大惨事が起きたのは記憶に新しいです。
 ホテルを出て歩いて15分ほどで“コーラ湾”へと着きました。“コーラ湾”は北大西洋からやって来る暖流のおかげで真冬でも湾が凍結することはなく、ロシアでも数少ない不凍港のひとつに数えられます。と聞いていたのですが、あきらかにところどころ凍っていました(笑)

蒸気で真っ白な湾の雰囲気は独特で、僕はこんな所でいったい何やってんだと寒さに震えながらしばらく湾を眺めていました。

 とにかく寒くて肺が痛く、生まれて初めてまつげと鼻毛が凍りました。まつげが凍ると目が開けられなくなり、コンタクトは絶対に止めた方がいいです。鼻毛が凍ってしまうと鼻がむちゃくちゃ痛かったです・・。
 あたりをデジタルカメラで撮っているうちに寒さでカメラが凍ってしまい、全く起動しなくなってしまいました。ほんとこれ以上外にいるとほんとにカメラがつぶれそうなので、急いでホテルへと戻りました。

ホテルに戻って急いでカメラに応急処置すると、なんとか起動するようになりました。しかしホッとしたのもつかの間、こっちは全く治っていない“風邪”のせいでふたたび寝込んでしまいました。

 ですが、日本の大学に提出しなくてはいけないレポートの期日が迫っているため、フラフラの体を無理矢理ベッドから起こし、胃腸薬の“パンシロン”を飲みながら持参したノートパソコンに向かってレポートを書いていました。

そんなこんなで夜になり、初日に見た「オーロラ」の感動をもう一度!とばかりに今度はタクシーを1時間チャーターして郊外へと向かいました。

 車中で運転手の兄ちゃんと話をすると、今はマイナス20度ほどだが一番寒い時期だとマイナス40度程度はざらという事でした。そして気温があまりに低いと雪はあまり降らず積もりもしないと言うことも聞きました。確かに“ムールマンスク”に来てから雪が降っている所をほとんど見ていませんでした。
 残念ながらこの日は「オーロラ」を見る事は出来なかったのですが、タクシーで郊外の夜景のきれいな所に行けたり、「北緯68度58分の塔」にも行きました。もう充分“ムールマンスク”を満喫したなと感じながらも風邪気味の体をいたわりながら就寝しました。

いよいよモスクワに戻る日となりました。飛行機は夕方の便なので朝のうちはノートパソコンに向かってレポートを書き、日が出てきた昼ごろにはホテルの前をぶらつきながらあたりの記念写真を撮っていました。

 いっこうに良くならない“風邪”のせいで相変わらず体の調子は悪かったのですが・・。
 ホテルの目の前には“ムールマンスク”の中心地である「憲法広場」があり、そこには大きな電飾のクリスマスツリーがありました。

荷物をまとめてホテルのチェックアウトを済ませると、暖房なんか効いていないオンボロバスに揺られながら、空港へと着きました。来た時にも思いましたが、ここの空港は国内線とは言うもののひどいくらい真っ暗で、ほんと「空港」というには程遠かったです。

 搭乗手続きをするとロシアらしい手書きの座席チケットを渡され、そのあと飛行機の前まで行く空港バスに乗せられました。このバスはなぜか電気が付いておらず真っ暗で、そしてあたりも真っ暗闇なのでまさにこれは「地獄へのバス」と言ってもおかしくないほど異様な感じのバスでした。一緒にバスに乗っているロシア人たちの顔もよりいっそう地獄感をかもし出していました。ほんと恐かったです。(笑)

バスは飛行機の前へと行くはずなのですがなぜか途中でバスはストップし、飛行機まで暗闇で極寒滑走路をみんなで歩かされました。これは行きよりも数段ヒドかったです。

 しかしもっとヒドかったのが搭乗手続きの際渡された座席チケットを飛行機の係員が一枚一枚チェックする為、飛行機乗りぐち階段前の滑走路で全員並ばされました。これは半端なくきつかったです。後日ニュースロシア軍隊が演習の際に極寒のなか滑走路で立たされ続けた挙句、軍人の数人が肺炎にかかり死傷したと聞き、まさにそれに近い仕打ちでした。

早くチケットチェックしてくれ!と願いながらやっとのこと飛行機の中に入ることができ、さあこれでモスクワに帰れると思って安心していたら悲劇はこれだけでは終わりませんでした。飛行機が離陸すると、何度か飛行機内が停電になってしまいました。常識的にあり得ないと思っていた矢先、今度は僕の席の天井の1面が「バキッ!」と剥がれ落ちました。

 この飛行機は絶対落ちる!と思わず叫び声を上げたくなりましたが、周りの乗客は特に驚いた様子もせず、出された機内食を食べ続けていました。恐るべきロシアのアエロフロートでした。

幸運?にも飛行機は墜落せず、なんとかモスクワに戻ってこれました。この時のモスクワの気温はマイナス4度ほどだったのですが、マイナス20度を経験したあとではモスクワは暖かいくらいでした。町にもネオンが溢れモスクワが天国に感じました。

まさに“ムールマンスク”は壮絶な旅でした。

最後に

 モスクワに戻ってきてからネットをすると両親からメールが来ており、内容は祖母が亡くなったというものでした。祖母は僕が留学前から体調が悪く、なんとか留学が終わるまではもって欲しいと願っていたのですが残念にも僕が帰国する3週間前に亡くなってしまいました。祖母の通夜にもお葬式にも出れなかった事はほんと後悔の念で一杯なのですが、亡くなった日時を聞いて驚きました。

不思議な話なのですが、僕が“ムールマンスク”旅行初日で偶然見た「オーロラ」の日時も祖母が亡くなった時間帯とほとんど同じだったのでした。単なる偶然かもしれませんが1週間に1度しか見れないと言われている「オーロラ」を幸運にも初日から見ることが出来たのは、もしかしたら祖母が見せてくれた「オーロラ」だったのかもしれません。

そう思うとあらためて「オーロラ」と言うものは幻想的な感じがしました。

 日本帰国後、直ぐにでも祖母のお墓参りへ行こうと心に誓いました。

色々な体験をした“ムールマンスク”旅行は今後一生忘れられない旅の思い出となりました。

皆さんも一度“ムールマンスク”の場所を世界地図で御覧下さい!そしてもし興味がおありならここに旅行してみてはいかがですか? 

                               終わり
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