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〒640-8142 和歌山県和歌山市三番丁54 三番丁タワー1F
1995年5月から2年間、フランス・パリ近郊のFoch病院心臓血管外科で働きました。阪神大震災、オーム真理教による地下鉄サリン事件があった年でした。 奨学金を出して頂ける企業があり、当時の伴教授、松田助教授の御紹介で、留学しました。フランスに留学した心外の先輩たちがそれまでにおられ、何とかなるさと決めました。松田先生もフランス留学されていましたので、フランス女性を紹介して頂き、また日仏会館のフランス語講座に週1回通い、1年程、フランス語を勉強しましたが、ほんの少しだけわかる、少しだけ話せる程度でした。 フォッシュ病院は、パリ郊外シュレーヌ市、モンバレリアンという小高い山の中腹にあります。頂上付近は今でもフランス軍の基地になっています。病院の名前は第一次世界大戦の時の有名なフォッシュ将軍に由来します。エッフェル塔を眺める名所のトロカデロ広場にフッシュ将軍像が立っています。病院はパリ市内からブローニュの森を抜け、凱旋門賞で有名なロンシャン競馬場のすぐそばを走り、セーヌ川を越えてすぐの所にありました。心外病棟からはブローニュの森、パリ市街を遠望できました。アパルトマンはSNCF(フランス国鉄)の駅を挟んだ看護学校の敷地内にあり、その一階の2Kに住んでいました。 手術室での手術の参加は、フランス語がわからなくてもできますが、最初半年はフランス語がバックグラウンドミュージックでした。半年でようやく単語が少し聞きとれるようになり、帰国前には、手術器具購入の交渉もフランス語でできるくらいになりました。 |
![]() フォッシュ病院です ![]() フォッシュ病院からの眺望です。 ブローニュの森の向こうにパリ市街が見えます。 中央にエッフェル塔、右にモンパルナスのビル群 が見えます。 |
![]() アパートは二階がピンクの建物で、看護学校の敷地内に建っていました。奥に見えるのが看護学校です |
アパートから毎日のように看護師寮に洗濯に行く妻が「マサキは家では話しをするのか?」と話しかけられた事があり、訳を聞くと「マサキは病院でBonjour(こんにちは)とMerci(ありがとう),
Au revoir(さようなら)くらいしか話さない」と言われた…という事も今となっては笑い話になりました。 手術室で日常的に飛び交うののしり言葉はすぐ覚え、妻に教えました。話さなくても、ぽつりとののしり言葉をつぶやくと、フランス人の態度が急変します。この東洋人はしゃべらないが、わかっているのだと驚かれます。順番に並んでいる時に割り込みされた時や、店員さんが笑顔で丁寧な対応をしているふりをしながら思いきり悪口を言っている時などに、フランス語でぽつりと「くそったれ!」なんてつぶやくと目をまん丸にして驚かれます。まさに生きたフランス語です。フランスでは自分の意見が言えない、意思表示ができないと無能だとバカにされます。妻が習っていたフランス語の先生に、ののしり言葉を僕に教えてもらったというと、「なんてことだ…」と驚いた反応でした。外国人には知られたくない下品極まりない言葉のようで、女性は特に絶対に口に出して欲しくない言葉だと教えてくれましたが、それだけに、たまにつぶやく言葉が破壊力抜群なのでしょうね。渡仏当時、フランス人の間で人気があった日本の漫画「ドラゴンボール」のカメハメ波さながらに… 語学学校で習うフランス語よりも、実生活で役立つ生きたフランス語が習得できたように思います。 妻が39度を超える高熱を出して3日ほど寝込んでいた時の事でした。部屋のドアを何度も蹴られ、子供が怖がったので仕方なく外に出ると「車に塗料が付いている、お前の仕業に違いない。ガーディアンに言うぞ!」などとフランス人男性に難癖を付けられ怒鳴り込まれた事がありました。 初めは片言のフランス語と英語で対応していたものの、身に覚えがない上、あまりの理不尽さと屈辱的な言葉に怒り心頭、妻は関西弁で応戦し始め、予想外の反撃に驚いたフランス人男性が、すごすごと逃げて行くという光景を仕事帰りに目の当たりにしました。フランス語VS関西弁は関西弁が圧勝のようで、改めて関西弁の破壊力は最強だと思いました。 子供を連れた海外生活、妻はこの事件の後、さらに強くたくましくなった気がすると言っていました。言葉は違っても意思表示することの大切さを実感した出来事でした。 |
大人は四苦八苦したフランス語でしたが、当時5歳の次男は現地の幼稚園に通園していたため、半年ほどで寝言までフランス語になり、日本人が苦手とする「R」の鼻から抜ける発音も難なく習得し、「アクソンパリジャン!(パリ人の発音)」とフランス人に褒められるほど上達しました。羨ましい限りですが、帰国後、島根県松江市の小学校に転校し、半年もたたないうちに松江弁にすり替わりました。 覚えるのが早い反面、忘れていくスピードの速さにも驚きました。 |
![]() 次男の幼稚園での写真 |
![]() フランス語の先生に来てもらった時です |
フランスの移民法が厳しくなり、その頃にはフランスの病院から給料が出なくなっていました。奨学金は17000フラン(1フラン18−20円くらい)でした。 長男は日本人学校に転入し、知り合いになった企業の駐在員の方々と話しをする機会もあり、住居費の話になったところ、住居費だけで奨学金を遙かに超える額だと知り驚きました。住む世界が違うとはこの事なのだ…とため息が出ました。しかも、住居費や子供の日本人学校の学費、スクールバス代、引っ越し料金、一時帰国の航空運賃など全て支給されるそうで羨ましい限り…。我が家はと言うと奨学金と貯金でそれらすべてを賄っていたので、帰国時には貯金が底をつき、車を購入する時に頭金も払えず、全額ローンという有様でしたが、借金なしで帰国できた事で満足としよう。 振り返ると、フランスでの手術の経験、パリでの生活、貧乏旅行など、今までの人生のハイライトだったと思います。フランス人の同僚にどうして日本車を買わずにフランス車にしたのかと聞かれたシトロエンZXに荷物を積み込み、地図を見ながら行き当たりばったり、きれいな景色があれば寄り道し、Information(アンフォルマルシオン)でホテルを探し、今日はシャワーだけ、今日は風呂付き…など紹介してもらいながら家族で自由な旅行を楽しめた事は大切な思い出となっています。 帰国後も、たまにですがヨーロッパに行く機会があると、レンタカーを借り行き当たりばったりの旅行を楽しんでいます。フランス在住当時、日本人対象のツアーは高額だったのでツアーに参加したことがありませんでした。 |
シトロエンZXを販売店で受け取りアパートまで運転して帰る時、凱旋門とシャンゼリゼ通りは車が多くて絶対に近づかないように思っていたのが、なぜかどんどん近づき、凱旋門の周りの渋滞に突入して、冷や汗をかきました。フランスに多いロン・ポアンという交差方式で凱旋門の周りを回りながら出たい通りに出て行くという形でした。クラクションを鳴らされながら何とか事故も起こさず、凱旋門の周りを通り抜け、ブローニュの森を通り、アパートまでたどり着きました。 約30年近く前新婚旅行でパリ(パリ滞在型)に行きました。ホテル日航で申し込んだオプショナルツアーでロワール河古城めぐりに行き、最初のお城であるシャンボール城でツアーバスに置いてけぼりになりました。3月で寒いし、城もお店も閉まっていてほとんど人もいない、フランス語は解らず財布の中にあまりお金が入っておらず、どうしたらパリまで帰ることができるかと不安に思いながら、シャンボール城でうろうろしていました。2時間くらいたって添乗員さんがタクシーで迎えに来てくれてツアーに合流できました。 車を買ったら、日帰り旅行で最初に訪れるところはシャンボール城と決めていました。 車を買って約1ヶ月、左ハンドルの運転に少し慣れた頃、高速道路に乗りシャンボール城を目指しました。7月で天気もよく、きれいなシャンボール城を見学し、ツアーで最後に訪れたシュノンソー城の二つのお城に行きました。ここで置いてけぼりを食ったなあと思い出話をしました。妻の両親、兄夫婦がパリに遊びに来た時など、シャンボール城は何回か訪れました。 また訪れたいなあと思っていますが、いつになることやら。 |
![]() 右下に人が歩いているあたりでうろうろしていました。 |
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フランスの有名なFigaro紙が出している、Figaro Magazineが新しい手術の取材に来ました。 |
虚血になった心筋に外からレーザーで小孔をたくさん開け、心臓の内側から血流が入ることを期待する治療法です。 右の写真はドレイフュス教授です。 |
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Figaroの中で、おっかなびっくりというような表情で奥の方で写っているのが、僕です。駅の売店に買いに行き、今も大切に保管しています。 |
![]() 送別会1 |
他の病院に移っていくインターン(フランスではInternアンテルン)が、みんなを会議室に呼んでお世話になりましたと言う会を開くのが恒例でした。帰国前日に、僕もしました。奥にボスのギルメ教授、右にお世話になったバッシェ先生がいらっしゃいます。 |
前にアフリカのマダガスカル島出身の検査技師のPaul、僕の左(写真では右)にいるのが同じIntern仲間のレバノン人のNajiです。日産のカルロス・ゴーン社長によく似ています。フランスでの研修が終わったら、車を運転してレバノンまで帰ると言っていました。 | ![]() 送別会2 |
![]() バッシェ先生来日 |
バッシェ先生が2013年に大阪での血管外科学会に招請講演に来日された際、会食する機会がありました。倉敷でもフランスでもお世話になったN先生と、バッシェ夫妻と写っています。 |
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