写真機 

いく度かの変遷を経て現陣容は下記のとおり:

Nikon F3: lot.No.1370854

AiS 50mm/f1.4: lot.No.5446561 

AiS 135mm/f2.8: lot.No.940259  

AiS 55mmマクロ/f2.8: lot.No.538004  

    AiS 105mmマクロ/f2.8: lot.No.239539  

AiS 200mmマクロ/f4: lot.No.213765  

AiS 300mmED/f4.5: lot.No.224467

AiS 28-85mmズーム/f3.5-4.5:lot.No.278388  

ストロボ: SB-17   lot.No.773160

SUNPAK PZ42X   


    

 その昔、生活常備品のひとつとして当時発売になったばかりのNikomatFT2を購入。プロ気取りのNikonFを持つのは好みではないとは言いつつそのブランドには大層惹かれていて、ファミリースナップ目的での選択と妥協的自己満足の結果の選択。レンズも35mm一本で山歩きのスナップ、子供の運動会等、時々不便を感じつつも非常に満足しながらの愛用が続いた。ケースも無しでずっと机の下にころがしていたが、PC趣味の延長からデジタル画像に着目し、市販初期のCasioデジカメを購入、ついでフィルムスキャナーでデジタル化された昔のSL写真を画面加工した時点で、デジカメのあまりの画像レベルの低さとコストパフォマンスの悪さに愛想が尽き、逆に本来の銀塩写真の画質の上品さを再発見し、一生デジカメは使用しないことを誓ったのが十数年前のこと。

 不便を感じていた軽望遠クラスレンズとして、35/135mmズームの購入に始まって、ストロボ、ソフトケースと揃え、尾瀬のスナップが晴天にも恵まれて予想外に良い出来だったことから一気に興味が吹き出した。絵はがき製造だけでは物足りないし、自分のメモリーは自分の手順を踏んで納得できる道具で造るべきかなと。すでに「クラカメ」と呼ばれる世代に入ってしまったNikomatFT2がなかなか良好なスナップを作成してくれたこともあって、偶然と意図が微妙にブレンドされて出来上がる静止画像の描写力ある余韻を見直してきた。

 京都七条東福寺の紅葉を鑑賞に出かけた。いずれもタムロンレンズ一本で紅葉風景をトライしてみた。フィルムはアグファとコダックを試用したところ、紅葉の紅はさすがにアグファが鮮やかだったもののちょっと毒々しい感じの場合もあった。PLフィルターの使い方を納得したのもこの頃。ライカの秀逸な描写力を認識したが、自分のニーズにマッチしたマシンでは無いことも確認できて、ライカ病の底無し沼には足を踏み入れるには至らなかった。

 蝶々に惚れ込んでいくうちにマイクロニッコール55mmを購入してみて描写力のすばらしさに脱帽。ズームレンズは所詮、単倍レンズに解像度の点ではかなわないのは当然としてもマクロズームの妖しい魅力には幾度か足を取られそうになった。レンズの描写の違いも気になってくると、タムロンは鈍いが発色に華やかさを添えるためソフトで温かい描写が出来るとか、ニコンズームは色彩描写力において中途半端な感じなどとの印象も見えてくる。

  1969年の東北・北海道SLシリーズ(7/24-26,8/4-5)のペンタックスS2/35mm?スライドを30年振りにプリントに焼いてみた。写真の質は甘いし色も落ちているけれど、もう絶対に撮れないSLの勇姿を見ると「カメラ&フィルムはその時点で最上のものを使うべし」と歴史の証人的役割を痛感する。 鉄道SL写真をネットサーフィンでは「布原騒動」をはじめさまざまな当時の有様が蘇ってくる。名物の「鉄橋の上のD51三重連写真」はHP上にいくつも掲載されているが、挙がってこない何千枚もの同様な画像がそこここに眠っているのだろう。すべて若かりしひと時の自己満足と言ってしまうと何も始まらないのだが。

      結局Nikon病に嵌ってしまって当初のNikomatFT2からF3に変えてみて、やはり世界が変わったと言うのが最初の感覚と言える。AEのみの変更にとどめたせいか、たとえば車でマニュアルからオートに乗り換えた際に体感した「便利さよりも、かったるさが先立った」のとはまったく対極で、とにかくジウジアーロデザインの美しさと掌へのなじみの良さに完全に虜になってしまった。そしてそれはレンズの陣容にも大きく影響し始めて、蝶々撮影で55mmマクロの、とにかく接近することを余儀なくさせられる制限から、105mm、200mmと版図を広げ、当然のことながら、余分なものが視野から除かれ単純化できる規定路線に突き進むこととなる。

 子供のクラブ活動でラグビー試合の写真撮影のために300mmレンズまで拡大してみた後、最近は鮒に戻り50mm標準一本のスナップ世界に帰る様になった。ジャンルが絞られるにつれて手間が等比級数的に増大する趣味の世界で標準スナップの手軽さへ堕ちたと言えば、それはそうなのだけれど「突き詰める」ことが不得手な性格で「毒食わば皿まで」と、28/85mm常用ズームまでまた購入しなおしてしまった。報道カメラマン御用達品とは言うもののレンズの明るいほうは手が出ずに汎用グレードのほうでこちらでは画質に目をつぶったもっぱら記念写真対応。世の経済原理大衆操作でレコードからCDへと、そしてカメラはデジタル一色になってしまったが、写真とは銀塩アナログで作るものであって、デジカメでは決して魂は描写できない。しかし今や音楽でもそうだが、誰も写真に魂なぞ求めはしないし、そもそもじっくり味わうなどという対峙法そのものが機会を大方失っているし。まあ、このあたりはコピー物の本質的な限界でもあるわけだし、ただマニュアル中古レンズがお安くなっていることは非常にありがたく、特にこの銀塩カメラジャンルの方々は、非常に綺麗に大切に道具を使用されてきているし、道具を使い捨てる手段物とするか、人生の伴侶とするかは、それこそ生き様、価値観が違うわけでもあるし。

  世は移り変わって今や、完膚なきまでにデジタル圧勝のカメラ市場となってコダックも閉店の憂き目の中で、たまたま機会のあった披露宴に28/85mmズームとSB17で久しぶりに室内スナップに臨んでみた。さすがに昨今の6Mbクラスのデジタル画像は一見何の不足もなく鮮やかに披露宴の場面を切り取っている。当方のF3はSB17の予想を超えた光量不足でズームのメリットが裏目に出てデジカメ画像の鮮やかさには完敗であった。単細胞的腹いせでPZ42Xを衝動買いしてしまったのだが、明るいレンズを選ぶなりしたほうが良かったのかもしれない。いずれにしてもこのままデジカメに敗れたままにしておくわけにもいかないのでいずれリベンジのチャンスを待つつもり。

 しばらくカメラからは遠ざかっていたのだが、LUMIXのGシリーズにマウントアダプタを当ててNIKONマニュアルレンズが使えるようになり、本格的にデジタル世界に踏み込むことにした。いろいろ触ってみて、得た結論としてボケ味を生かすことや対象を絞り込んで行くプロセスとして、マニュアル操作はとても意味があると感じたこと。また実際的な部分としてマニュアルといっても露出計などは不要なこと、これはいかにもコンピュータ的なところでシャッターを押せば直ちに画像が参照できて、露出補正なども即座に変更対応できる訳だし、フレーミングからボケ調子まで諧調を変えて連続撮影することで絞り込むことができる。おかげで各レンズの持ち味などは一通り撮影してみれば鮮やかにあぶりだされてくるし、モータードライブなどの世界を見るまでも無く一眼レフデジタルの興隆は必然の道であることも悟られる。そんなこんなで「秋の一日」を切り出してみた。(2012/11/25)