魅力の源泉は、曲それぞれに柔軟で、それでいて感情移入が滑稽になるほどに客観的で、それゆえに余韻がしみじみと残る・・・、と言ったところだろうか。
柔軟性を十分に主張して、感情的ではなく、じっくりと弾くタイプの演奏に魅入られることが多い。リストの場合もこれと似ている。
チェロが「哲学の響き」、ヴァイオリンは「問わず語り」、木管は「夢想」とするとピアノは「心模様」あたりが妥当かもしれない。
ショパンの音楽は、病的なサロンの優雅さ、等の先入観もあるが、人間の極限状況を救う強靭さが秘められているようにも思う。こんなに強烈な和音の並びや、激情的なメロディーを作った作曲家はいない。現代ピアノで大段平を振りかざすような演奏スタイルはいらない。
そう言えばバッハも異様に激情的なメロディーがあったりする。バッハとショパンは密接に結びついているようで、
バッハが「悟りの諦観と反骨」とすればショパンは「超克に至る憤懣」かもしれない。
シューマンのオイゼビウスとしての表現では、ピアノ協奏曲やマズルカを元にして、
Chopins
Werke sind unter Blumen eingesenkte Kanonen.(Schumann: Schriften
– Kritische Umschau)
と言うのがある。「花々の下に潜められた大砲。」吉田秀和氏の訳では「花かげに隠された大砲。」これはシューマンの目からは反ロシア的なポーランドの魂と言うことになろうが、ショパンの音楽の特徴である、甘く香るメロディと対比的に激情的なパッセージや一種不気味で不穏な和音進行がセットになって、能の般若と小面の組み合わせを見るような緊張感を創り出している部分の比喩としても、納得できる表現と思う。
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