04'03/10    平成の隠居

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    その後   最終章

隠居の禁煙物語  

プロローグ

 今、貴方にとって何が一番大切ですかと問われたとき、何のためらいも無く「健康である事」と答える。健康で有ればこそ、ホームページを作ったり、 好き勝手な事ができている。ところが、その健康を維持して行く上で一つだけ課題を残している。屁理屈で喫煙を正当化し、家族の抗議・医者の薦め ・脅しにも屈せず、40年来の喫煙者なのだ。20年程前に高脂血症と診断され、それから薬を手放せない。最近では血圧降下剤も服用している。 最大の敵は「喫煙」であると分かってはいるのだが止められない。

 余命を人並みにするためにも禁煙するに越した事は無い。しかし、「ニコチン中毒症」からの脱却にはかなりの犠牲が伴うと思っていた。 これも20年近く前に禁煙に挑戦した事がある。 その時最初の一週間に経験した「史上最大の苦痛」がしっかりと記憶に残っているのだ。

禁煙のきっかけ

 平成16年の正月は例年と少し違うところがあった。元旦から息子の新居で「おせち料理のお披露目」を行う事になり、 我が一家と息子の伴侶の両親・叔母夫婦の参加し和やかなうちに終りを迎えた。ところが、終りが苦難の始まりとなったのだ。 嫁曰く「皆さんにお年玉があります。 受け取ってください。」と孫の手からから渡して呉れたのだが、「おじじ様には禁煙の宣言をしてもらいます。宣言しない限り、お年玉もこれから先、 孫の訪問も無いと思ってください」と来たのだ。40年の実績をそう簡単には捨てる事も出来ず躊躇している間も、「早く宣言しないと次に進めません」 とまくし立てられ、こうなれば得意のの屁理屈で誤魔化せばいいと「おじじは禁煙を宣言します」とその場を乗り切った。 可愛いと思っていた嫁からの思いがけない一撃にやられてしまった。嫁の父親も可愛そうに同じ運命となった。

禁煙開始  

 タバコはまとめ買いでなく毎日一箱を買うように心がけていた。 その方がタバコの量をコントロールするのに都合が良かったからである。従って、禁煙を宣言した次の日の昼頃まではタバコがあり、 正月の二日午後からが実際の禁煙開始となった。わいわいがやがやの正月二日目は、人目も有りタバコをこっそりと吸う環境ではない。 夕方には禁煙の宣言を強要した「鬼嫁」パイポキシリトールガムを差し入れてくれたりして何とはなしに禁煙初日は過ぎていった。  二日目、朝の一服とタバコを探すがあるはずが無い。軽い禁断症状が出かけたが、 食事をだらだらと時間をかけて摂り、お茶・コーヒーを飲みまくり何とか昼まで漕ぎつけた。昼食の後は昼寝をした。これが上手い手だった。考えてみるに、 夜、寝ている時はタバコを吸っていないではないか!ニコチン中毒症から抜け出すのは大変だが、中毒症にならなければ良いのだ。 寝ている間は中毒症になっていない。大発見である。  睡眠の他にも、散歩や水泳等、体を動かしている間は中毒症状が出ないようである。 これらを組み合わせ、禁断状態になればガムを噛んで誤魔化し3日目、4日目と過ぎていった。ただ、パイポはどうも自分には合わないらしく、 気分が悪くなるだけの様だった。かくして思ったより簡単に「辛い」と言われる一週間を無事に通過し、 2週間・・・一ヶ月と時間が経過し現在丸2ヶ月を迎えた。禁煙完全成功の兆しが見えている。隠居なればこそ出来た事と思う。

  途中の出来事  

 2週間目位であったか、「ここまでくればもう成功したも同様。一本吸ってみるか」と、 子供に話しかける。子供曰く「そうやねー。タバコ買ってきましょうか?」「・・・・」。今まで、タバコに一番うるさかった子供が、この態度なのだ。 こちらも後には引けないから、「いや、一箱は多すぎる。一本で良いのだけど。」「それなら、タバコ屋さんの前で、一本恵んで!って頼むのが一番やねー」。  いつの間にか子供も成長した様で親を手玉に取るようになっていた。

貴重な一本が残っているのに気が付いたのはそれから一週間ほど経ってからである。 ご近所の若奥さんに「菊の御紋章入りタバコ」を貰い、記念にと一本だけ残しておいたのだ。独りになった時を見計らって吸ってみた。何の抵抗も無く吸えた。 格別に美味いと云うほどでもなかったのは意外であった。ところが、一時間も経たないうちに無性にタバコが吸いたくなってきた。 シケモクを手にする。又暫くすると吸いたくなる。もとの木阿弥である。何とも言いようの無い出来事ではあるが禁煙を支援するサイトや本に書かれている事は 真であった。「もう一本ぐらいは大丈夫」が失敗を招くと。でもこの度の症状は軽いもので二日程がピークで、色々とコツを体得した隠居にとって簡単にやり過ごす事が出来た。 そして今日の2ヶ月満願日を迎えている。「鬼嫁」「観音様」になる日も近い。

新たな戦い

 コレステロール・血圧の薬をずっと貰っていた病院から、近くの開業医に今年から変更した。 こちらが望んだのではなく、病院側からの薦めが有ったのだ。65歳に到達すると、立派な介護保険被保険者の有資格者だから「介護認定はご近所で」 の考えがあったのではないかと思う。それはさておき、薬が切れたので新しい医院に出向き、「体重測定」・・・結果69Kg・・・ 禁煙開始して3Kgも増加しているではないか!。無理やり医者に「体重より禁煙の方が大事ですよね!」と同意させたものの、 ベスト体重めがけて新たな挑戦が始まろうとしている。減量の大変さも過去経験済み。百姓生まれは空腹が最大の敵なのだ。 果たして今度はいかなる手段で制覇するか!

平成16年3月3日桃の節句に

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隠居の禁煙物語 その後 

 元旦に禁煙開始し6ヶ月が経過した。禁煙スタートの様子は「隠居の禁煙物語」に記載した。それを何人かの人が読み何がしかの関心をもたれた様子なのでその後の経過を書いてみる。

継続のコツ

 禁煙は順調に続いている。「タバコを吸わない」事への苦痛・苦労は殆ど無い。喫煙を再開する最大のチャンスは「酒の席」と言われている。 現役時代に禁煙して1年経過し喫煙再開した事があるが、きっかけはやはり酒の席であった。 隠居生活に入ると酒の席は少ないうえに、同席するメンバーが大きく変わり禁煙を妨げる「輩」も少なくなるのが助かっている。
 今回、それに近い機会があった。仲間とのゴルフである。最初はタバコを吸わない事に気すら付かない。昼飯になり、禁煙を告げると様子が変わって、盛んに元の木阿弥に戻そうと誘惑してくる。軟弱物扱いされたり、意思が弱いとさげすまされたりした。何とか危機をやり過ごしたのだがどうも「酒の席」がチャンスと言うより、「酒で緩んだ精神状態の中で喫煙を勧める悪がきの存在」が喫煙再開の原因となるようだ。禁煙をを本当に成功させようとするならば再開の要因を掴んでおきそれへの対策を講じておく必要があるように思う。繰り返しになるが隠居生活に入ると時間がたっぷりあるからいろんな事への手が打ちやすくなり成功しやすいのだ。現役の人達には、禁煙しやすい環境の整った時になってからスタートすることを薦める。

もう大丈夫の1本

 禁煙開始一ヶ月頃の1本のタバコは後が苦しい。この事は既に書いたが更に日数が経過したらどうなるかを記しておこう。丁度5ヶ月が過ぎた頃喫煙してみた。家主が外出しており、完全に一人となったタイミングを見計らっての行動である。どうも喫煙行為を身近な人間に見られるのは、何か後ろめたい気持ちが働くようになってしまったらしい。それはさておき、実は久しぶりの一本のタバコに、あの何ともいえない「美味しさ」を期待していたのだが吸ってみてもその感じが全くしない。そして、一ヶ月頃に経験したあの無性に吸いたくなるリピート感覚は無くなっていた。どうも禁煙も5-6ヶ月経過すると一安心できる状態になるらしい。3ヶ月目頃の経験を書けないのが残念と言えば残念。
 
禁煙の効用

 
禁煙を何かの効用を期待してスタートするのであれば、それに関する喫煙時の状態を正しく把握しておくことを薦める。自分の場合、効用を具体的に期待して禁煙を開始したのではないから、結果として準備不足が多々あるのは否めない。体調が色々変化しているのだが禁煙によるのか他の要因によるかの区別がつかないのだ。
 明らかに効果が出てきたのは「咳」が出なくなった事がある。風邪を引くと長い間咳が止まらなかったがそれは無くなった。味覚も鋭敏になったような気がするが、花粉症にかかったような兆候があり、そのせいとも言えそうではっきりしない。
 一方、体重が増えてきた。禁煙開始後、3ヶ月目ぐらいで3−4Kg増えた。あまり望ましい効用では無い。主食の量をやや少なめにし、エネルギーの少ない副食、野菜類を多く食べる事で最近はやや減少気味になりかけた。更に運動を組み合わせれば良いのであろうが、暑い季節はどうも運動に期待するのは無理がありそう。ちなみに、タバコは買い置きせず毎日買いに行っていた。少なくともこれが毎日かかさず続けていた運動であった。その必要もなくなったことは以外に大きな要因なのかもしれない。
 禁煙を要請した方から見た効用が多数ありそうだ。家の中の匂い・カーテン・壁紙等の汚れが少ない等々である。本人の感じる効用より周囲の感じる効用の方が多いのかもしれない。長年、周囲の人達には迷惑をかけたと考え、最後の奉公と思って禁煙するのもまた隠居の役割なのかもしれない。

肺癌にかからないことを願って

 禁煙してから肺癌で亡くなった知人が数名いる。肺癌と判って禁煙したのか、禁煙したから発ガンしたのか定かではないが、事実は無視できない。医学的な知識は無いので因果関係をとやかく言っても説得力が無い。ただ禁煙を始めた自分が「肺癌」になるのだけは避けたいのだ。何故なら、禁煙を薦めた側が後味の悪い思いをするのも可哀想だし、本人も原因をそちらの方に持って行くことで自分を慰めそうな気がするからだ。
 癌の進行は加齢するに従い遅くなると言う。明らかに「癌」と診断されるにはこれから可成の時間を要するであろう。若し数年で「癌」になったとすれば禁煙が原因とは云えない。今から少なくとも10年以上経過して「癌」と診断されたなら禁煙が何かのかかわりを持ったと言えるのかもしれない。しかし、果たしてその時に禁煙が原因だと言うだろうか? 禁煙したことなどすっかり忘れているに違いないように思えるのだ。
 何はともあれまた半年後に1年経過した禁煙物語を報告したいと思っている。(平成16年7月4日)

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隠居の禁煙物語 最終章

出てきたパイポ
 節分も終り、隣の梅が花を咲かし始めた。ちょっと寒さが緩み、予ねて頼んでいた床の張替え工事を出入りの大工さんが始める事になった。 そのため台所の食器棚を移転させたのだが、その中に見慣れない小箱を見つけた。「リラックス パイポ」・・・グレープフルーツ味・・・と書かれたのが3箱である。1年前に禁煙スタートした時、鬼嫁転じ今は観音様が差し入れてくれた品物だ。何となく馴染めず、使わなっかたのをしまって置いたらしい。そういえば、1年経過後の禁煙の様子を報告すると約束していた。ややオーバーしたがまだ約束の圏内とあわてて記載する次第です。

体重のコントロール

 禁煙は順調に続いている。既に報告済みのプラス効果も維持している。マイナス効果であった体重増加について若干書いておく必要がありそうだ。
 体重は3−4kg増えたのだが、今は当時の体重に戻っている。標準体重は(身長×身長×22)で計算できる。自分の標準体重を求めると64Kgとなり、実体重から算出した肥満度は3.1%となる。立派な値ではないですか!(実体重を明らかにせよと言われそうだが、肥満度の算出式を知っていれば逆算できるのですぞ!)

 体重のコントロールは、運動と食事の量・質で行える。しかし、現実には難しい。暑いから・寒いからと運動をやめてしまったり、今日は好いことがあったから祝杯を上げよう!とビールで乾杯・・・色んな理由がつけられる。このように体重コントロールの敵が生活の中には満ち溢れている。その「敵に打ち勝つツールを備える」と言うのが隠居の流儀である。その道具とは体重計である。アナログの体重計ではツールになりえないので使っていたのを捨て、「デジタル式体重計」を買い求めた。最小表示単位が200gの品物だがこれで十分である。

 人間の体重は、計るタイミングで500g以上の増減がある。衣服を含めるともっと大きくなる。従って、測定するタイミングを一定にすべきである。タイミングを一定にするのも立派なツールなのだ。そうすれば言い訳する事が出来なくなり事実として受け入れざるを得なくなる。そしてその事実は自分自身のコントロールの甘さに基づくものと認識できるのだ。
 道具が揃えば後は実行のみ。何時のまにか体重は狙った所に落ち着いてきた。かくして残っていたマイナス効果の克服も終り今日を迎えている。

最終章

 正月も終りの頃、昔仲間と酒を酌み交わす機会があった。その席で、こちらから求めてタバコを頂戴し吸ってみた。それほど咽ることなく吸うことが出来た。問題はその後なのだが、以前みたいな中毒症は皆無である事が確認出来た。 かくして隠居さんは禁煙を達成したのであります。
 禁煙を望んでいる人へのアドバイスは、「ストレスに満ち満ちた現役には禁煙がまたストレスになる。隠居になれば何時でも止められるから、それからでもいいんじゃないですか!」と言うことで、隠居さんには、「自分に適したツールを持つ事ですね!」と伝えています。(平成17年2月9日完)

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